photo by Alliance Russe
「さとり世代」っていう言葉がありますよね。主に90年代生まれの若者たちを指す言葉です。
この世代の人々の特徴としてよく挙げられる例ですが、
・物欲がない
・出世に興味がない
・恋愛に消極的
・インドア指向
・冷めてて現実的
となんだか大人しげな「草食系」のイメージを感じさせます・・。
実はこの「さとり世代」ですが、政府が行った幸福度調査では大変高い数値をマークしていて、かなりストレスフリーな満足度の高い暮らしをしていることを伺い知ることができます。
どうやら「さとり世代」には、この厳しい時代をうまく生きていくためのヒントが隠されていそうな気がします・・。
というわけで、今回は「さとり世代」の幸福感の謎についていろいろ考えてみたいと思います!
目次
さとり世代はなんで幸福度が高いの?
最近の若者の幸福度が高い現象について、社会学者たちは頭を悩ませているようです。
就職が厳しくて、恋愛もしづらくて、富の格差がますます広がっていくこの時代、はたから見るととっても不幸に見えそうなものですが、しかしなぜか若者の幸福度は高いというのです。
この問題について、テレビで有名な失言王のあの古市憲寿さんが、とてもキレ味のある考察をしています。古市さんは、社会学者タルコット・パーソンズの言葉を引用して、最近の若者が「コンサマトリー化」していると指摘しています。
「コンサマトリー」というのは、自分たちが暮らす「今・ここ」を楽しむ性質のこと。遠い将来のことを憂いだり、何かの目標に向かってコツコツと備えたりするよりも、身近な仲間たちと「今」をゆるゆると、自己充足的に生きるような態度のことを指すそうです。
ようするに意識高い系の反対、ある種のマイルドヤンキー的な人々をイメージすればよいのでしょうかね・・?
「コンサマトリー」の反対は「インストゥルメンタル」
ものごとを何かの実現手段として道具的にとらえること。常に目的意識を持ち、自分が信じる大きな物語を実現するために日々の生活を営む態度。
なんだかとっても意識が高そうな性質ですね・・。
もしかすると、今時のコンサマトリーな若者にとってはこういう生き方がずいぶんと息苦しくて、この張り付めたゲームから「一抜けた!」と抜け出すことで、肩の荷が降りたような安堵感を覚えているのかもしれませんね・・。
第三世代の認知療法!
この「コンサマトリー」の「今・ここ」に心を置くという態度は、なんだか「第三世代の認知行動療法」と密接な関係がある気がします。
「認知行動療法」とは、うつ病・統合失調症・不安障害といった、心の病を治すために編み出された精神療法のことです(以前ブログにちょこっと書きましたよね)
これを最近改良したニューバージョンが「第三世代の認知行動療法」です。
メンタルの調子が悪くて抑うつ気味になっている人は、往々にしてネガティブなことを延々と考え続けてしまう「反芻思考」に囚われていることが多いそうです。
「自分はダメだ・・」→「気分が落ち込む」→「やっぱり自分はダメだ・・」→「もっと気分が落ち込む」
みたいな悪い思考のループのことですね(私もよく経験があります・・)
「第三世代の認知行動療法」はこういう「抑うつ的な思考の悪循環」によく効くというのです。
マインドフルネス!
第三世代の認知行動療法として代表的ものに「マインドフルネス」があります。
マインドフルネスでは、悪い思考のループから抜け出すためのトレーニングをします。
座禅をしたり、腹式呼吸をしたり、豆を一粒ずつ噛みしめたりしながら、「自分の身体の感覚」や「今・ここの感覚」に気持ちを集中します。
そして頭の中でいろいろと沸いてくる悪い思考を、無理して止めようとせず、さりとて注目することもせず、その思考をあるがままに受け入れるような態度で観察をします。
こういった、物事を周辺的に離れた位置から見るような「脱中心的」な視点を維持しながら、自分の不愉快な気分をあるがままに受け入れる「アクセプタンス」の訓練を続けることで、不思議と悪い思考のループが沈静化して、しだいに抑うつ状態が緩和されていくそうです。
従来の精神療法では、しばしば認知に積極的に関与して矯正を試みる手法がとられていましたが、新世代の精神療法では「悪い思考に距離を置く」ことで改善を試みる特徴があります。
この手法は、今まで治りづらいとされていた「新型うつ」や「パーソナリティ障害」などにも効果があることが分かってきていて、とっても注目されているそうです。
(グーグル社も社員のメンタルヘルス・ケアの一環としてこの「マインドフルネス」を取り入れる動きがあるそうですね)
脱中心的な思考がイイ!
マインドフルネス訓練には、「注意制御能力」や「メタ認知能力」を向上させる働きがあるといわれています。
「注意制御能力」とは、自分の注意の向け方をコントロールする能力です。
自分のネガティブな思考に注意を向けていると、ぐるぐると巡る反芻思考にとらわれてしまい、ますます抑うつを悪化させてしまいます。
そこで自分の注意を「今・ここ」に集中して、頭の中の「反芻思考」を遠まきに眺めることで、悪循環の流れから距離を置くことができるということです。
また「メタ認知能力」とは自分の思考や周囲の状況を客観的・俯瞰的に認識する能力です。
自分の思い描くネガティブな想像は絶対的なものではなく、ただの一つの考え方に過ぎないと、あまり入れ込みすぎない態度で自分をモニタリング(観察)することで、感情的なものに振り回されることを抑制できるということです。
近年よく見られる、人間の感情を巡る再帰的な悪循環の問題には、ものごとにガッツリ真正面から向かい合うような態度よりも、むしろやんわりと注意の焦点を逸らして俯瞰的な観点から問題を見つめる「脱中心的」な態度の方が効果的であるというのが、マインドフルネスの教えなのだと思いますね。
コンサマトリーとメタ認知!
先にあげた「若者のコンサマトリー化」にも、マインドフルネスと似たような構図があるような気がします。
自分たちを苦しめている「源」から一定の距離を置き、先々の未来ことをあまり思い悩まず「今・ここ」に注意を向けて、その一方で物事を相対的・現実的にとらえる、ある種のニヒリズムにも似た「メタ視点」で世界を見つめる。
こういった態度によって、若者たちは何らかの感情的な憎悪にとらわれることを回避しているのではないかと、そういう気がいたします。
一部の若者たちも含めて、世間の人々を苦しめている源とはいったいなんなんでしょうか?
それは「さとり世代」が距離を置いている「欲望」(富、権力、名誉、性愛…etc)の問題なのかもしれません。
そして「欲望」とうまく向かい合うことに失敗してしまって、感情の悪循環に囚われてしまった人々が、抑うつ的で、幸福度が低くて、生きづらい生活を余儀なくされてしまっているのかもしれません。
現代においては、もはや欲望は苦しみの源になってしまったんですね(古い仏教の教えのようです・・)
欲望がコントロールされる時代!
現代は「潜在認知の操作」によって人間の欲望がコントロールされる時代だと言われています。
国や広告やメディアは、人間の「無意識下」に働きかけるようなアプローチで、不安・恐怖・怒り・見栄・射幸心・嫉妬心といった感情を操作して、人々を動員しようとします。
広告代理店とかが人々の感情を煽ってモノを買わせようとする手口は、よく「情動マーケティング」などと呼ばれていますよね。
メディアだけでなくて身近な人たち(教師、親、上司…etc)も、巧みな心理操作術を使って、自分のもとにいる人間をコントロールしようと試みます。
一見表面上は相手の意志を尊重するような「リベラルな態度」を取りつつ、その裏では
「もっと勉強しろ!」「言うことをきけ!」「バリバリ働け!」「俺の顔を立てろ!」
と我がままな「メタ・メッセージ」をビンビン飛ばしてくるんですね・・。
こんな状況では、もはや自分の抱いている欲望が自分本来のものなのか、誰かに植え付けられたものなのか、区別が付かなくなってしまうと思いますね。
上記のような仕組みで動いてる社会にどっぷり浸かって暮らしていると、裏で糸を引いてる存在に延々と欲望を刺激され続けて、回し車の中のハムスターのように走り続ける存在となり果ててしまいかねません。
最近「同調圧力が辛い!」という言葉をよく聞きますが、その根底には「人に操られている感覚」「本来的な自分を生きられていない感覚」といった不全感があるのではないかと思います・・。
潜在認知 vs メタ認知!
以前論文でこんな実験を読んだことがあります。
1.実験の参加者たちを集めて、ある課題に取り組んでもらいます。
2.参加者たちが課題に取り組む前に、作業の判断内容に影響与えるような「潜在認知」に働きかけるメッセージを与えます(プライミングというやつです)
3.「2」と平行して「メタ認知的なコントロール」によって問題を洞察をさせる工程も与えます。
この結果、「2」の「潜在認知」の働きかけが、「3」の「メタ認知」によって打ち消される効果が見られたそうです。
すなわち、心理的な刷り込み(プライミング)の効果は、自分の作業を客観的にモニタリングする「メタ認知」によって抑制されるということですね。
この実験の結果はとても示唆的だと思います。
メディアや広告代理店の人たちが仕掛けてくる「潜在認知」への働きかけは、マインドフルネス的な「注意の逸らし」「メタ認知」的なものによって、効力を失ってしまう可能性があるということです。
しばしば世間で見られる「大衆の欲望を操縦しようとするメディア」と「それに抗う人々」の関係は「潜在認知 vs メタ認知」的な対立の構図としてとらえる事もできるのかもしれませんね。
自己可塑から対象可塑へ!
メンタルに問題を抱えてる人が社会に適応する過程には、「自己可塑的なアプローチ」と「対象可塑的なアプローチ」があると言われています。
自己可塑とは、自分の内面を変えて周りの環境に適応することです。また対象可塑とは、周囲の環境に働きかけて自分にあったものに作りかえることです。
「マインドフルネス」は自分の内面の問題を解決する手法なので、「自己可塑的なアプローチ」といえます。
こういった精神療法に「現実の問題」を解決する力はありませんが、でもトレーニングによって心の健康を回復した人たちが、今度は身の回りの問題にたいして「対象可塑的」な取り組みを図ることによって、世の中の仕組みがより良く整備されていくのだと思います。
同じことがコンサマトリーな若者にも言えるかもしれません。
世間をとりまく悪感情から距離を置いて、感情的な平穏を手に入れた若者たちは、現実の問題に対して冷静沈着に取り組む「心の余裕」があると思います。
今までは距離を置くことしかできなかった「欲望」の問題に、これからはスマートな方法でアプローチを仕掛けることができるかもしれません。
しかし自分で言っておいてなんですが、これはとっても難しい問題であるともいえそうです・・。
「どういう状態が自分たちの幸福といえるのか」「大人たちが潜在認知の領域を荒らしまわる行為を、どうやってやめさせることができるのか」「そもそも欲望は持った方がいいのか捨て去った方がいいのか」
若者の前にはすっごい社会学的・哲学的な難問が横たわっていると思います・・。
私もギリギリ若者のうちにカウントされる年代だと思うので、この問題を考えていかないといけませんね・・。
(だれか賢い人が思いついたら私に教えてくれないでしょうか・・?)
P.S.
「メタ認知」は自分を客観的・俯瞰的に眺める視点ですが、同じように自分を突き放して見る視点に「解離」があります。「メタ認知」と「解離」は一見似てるようですが、その中身は大違いなものだと思います。最近「プチ解離」と呼ばれる軽度の解離傾向がある人が増えてるそうですが、そういう人はマインドフルネス・トレーニングをすると良いと思いますね。このトレーニングは解離や失感情症(アレキシサイミア)にも効果があるそうですから・・。