立たなくなってしまった国ニッポン!

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最近ブログ更新をサボっているので、ぼんやりと思ってることを、だらだらと書き記してみたいと思います・・。

なんだか世の中を見てると「立たなく」なってしまってることがいっぱいあるなーと、よく思うんですよね・・。

例えば、テレビで国会中継の様子とかを見てると、与党の人たちが野党の人たちに「対案を出しなさい!」とよく怒っている光景があります。世に言う「野党が対案出さない問題」というやつです。あれってなかなか難しい問題ですよね・・。

わたし思うんですけど、たぶん野党の人たちって、対案を立てられないんじゃなくて、そもそも対案を表明することができない状態に、追い込まれてるんじゃないでしょうか・・。

政策って、日々いろんな学者や評論家の人がたくさん意見を述べていますし、論文とかだって毎月のようにたくさん提出されてますし、おそらく「案」っていうのは、世の中にジャブジャブ溢れかえるほどに、日々たくさん生み出され続けてるんだと思います。

でもきっと、これらのうちのどのプランを野党が述べたとしても、案として成立することはないんだと思います。たぶん野党の案は何を述べても、周囲から激しくツッコミを受けて、「却下!」と掃き捨てられてしまう運命にあるんだと思います。例えどんな「ナイスな案」を提出したとしてもです・・。

野党は自分たちがそういう空気に置かれてることがよく分かっているので、対案を述べようとしても「ぐぬぬ・・」となって、口をつぐんでしまうんだと思います。なぜかっていうと、そもそも対案が「立つ」ための前提が、失われてしまってるからなんですよね・・。

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こんな風に最近世の中で見られる、判断材料やアイデアはたくさんあるのに、それらが全く「具体的・実践的な形」に体系化されない悲しい現象を、わたしは脳内用語で「立たない」と言ってます。萎え萎えな状態というわけです。

ビジネスの世界とかでも、たぶんこういう「立たない」状況が、たくさんあると思います。

例えば、最近学生のベンチャーの会社とかで、とっても優秀な発明をするグループが増えてきているそうです。ロボットの分野とかバイオの分野とかで、技術コンクールの優秀賞をとったりすることが多いんだそうです。でもなぜかこういう学生たちは、日本の会社からはあまり声がかからずに、アメリカや中国に勧誘されて、海外に飛び立ってしまうことが多いんだそうです。せっかく日本のコンクールで優秀賞をとったのに、日本の会社からスルーされて海外に行ってしまうなんて、なんだか悲しい事態ですね・・。

日本の会社はきっと、ベンチャーの学生たちのナイスアイデアをちゃんとチェックして、密かに注目してると思います。でもきっと、ナイスなアイデアや技術だけでは「立つ」ことができないということも、薄々知ってるんだと思います。海外なら「立つ」けども、日本ではたぶん駄目なんです。なぜかというと、前提が壊れてしまってるからです・・。

ここでいう「前提」っていうのは、会社や集団の中の構造的な問題というよりは、もっと日本全土を広く覆う文化的・心理的な問題なような気がします。人はメンタル的にアゲアゲな状態のときでないと、ちゃんと「立つ」ことができないんだと思いますね(なんだかふわふわした言い方になってしまいますが・・)

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こんな風に「立つこと」が機能不全になってしまっている我が国日本に、最近猛烈に「屹立」している珍しい事例があるように感じます。これは言ってみれば「否定的な屹立」ともいうべき現象です・・。

この現象は、人々の間に積極的に何かを選ぶ動機や意図がなくても、みんなが漫然と活動してるだけで、何となく立ってしまう(しまってるように見える)状態のことです。具体的なお話を挙げるとこんな感じです・・。

昔企業のマーケティングの担当の人から聞いたことがあるんですけども、世の中に似たような商品が無数に溢れかえっていて、市場が陳腐化した状況にあるとき、人々はお店の陳列棚から一番無難で、一番定番で、一番みんなが買いそうなものを、無作為に選び取る傾向があるそうです。

「これが欲しい!」というポジティブな動機がなくて「別にどれでもいいや…」みたいなネガティブな動機で何かを選ぶとき、人はえらく保守的で画一的な選択を、一斉に歩調をあわせて行いがちだということです。

この傾向が最高に顕著になると、しばしば売れ行きが一点の商品に過集中して、びっくりするくらいの大ヒットが生まれることがあるそうです。人々の気持ちはなんだか白けきってるのに、売り行きだけを見ると、ある商品が大人気の爆上げ状態に見えてしまう、そんな不思議な現象が起きるんです・・。

この爆上げ状態が起きると、人々の間で「集団的な幻想」ともいうべきものが形成されることがあります。なんだかパッとしないけどもバカ売れしてるこの不思議な商品に、実は隠された魅力が秘められているのではないかという、そんな幻想です。この魅力はしばしば「スルメ系」とか「通にしか分からない」とか「一周まわって」とか、そんな感じの謎めいた修辞で語られることが多いです。この面白い現象は、商品だけでなくて、人物の評価や、投票の支持率にもよく現れることがあります・・。

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このような幻想が現れることの背景にあるものはなんでしょうか?それは、人々の間に自分たちが欲望を失った「萎え萎えの不能者」になってしまっているのではないかということを、認めたくない無意識の気持ちがあるのだと思います。何かを欲望したいのに、その対象がうまく見つからずにモヤモヤしてる、そんなもどかしい気持ちの中で、じつは自分たちの中にはギラギラの隠された欲望がちゃんと秘められていたんだというストーリーを、この幻想は与えてくれるんです。人はいつでも欲望することを欲望しています。そして同時に、欲望を失った不能者になることを、とっても恐れているんです・・。

この幻想の裏側には、自分たちの認めがたい「不能状態」が隠されているので、その秘密を守るために、熾烈な抵抗運動が起きることがあります。否定的屹立の周囲には、往々にして熱狂的な信者のような人たちが集まることが多いんです。ネット上ではこの「屹立状態=大ヒット=お祭りボッキアゲ!」を盛り立てようと旺盛な勧誘活動が行われて、そしてアンチの勢力に対しては好戦的な態度でもってそれを退けようとします。この運動が行き着く先は「ネット炎上」になることが多いです。ネット炎上ウォチャーの異名とるわたしは(勝手に名乗ってるだけですが・・)、最近このパターンの炎上がよく起きていると、密かに感じています・・。

いったいこの状態が良いものなのか悪いものなのか、正直わたしには判断つきかねるところがあります。この幻想によって人々が自信を回復することができて、良いサイクルにのって上手く世の中を回していける切っ掛けになるんだったら、それはなんとなく良いものであるような気もします。

でも、この幻想はなんだか空っぽの張りぼてめいていて、あるときふと空中分解してしまいそうな危い側面があるような気もします。もしそんな破局が起きてしまったら、人々は今度こそガックリと肩を落としてしまって、今までよりももっとひどい抑うつ状態になってしまうんじゃないかと、なんだか心配になってしまうことがあるんですよね(今度こそ本当の萎え萎え状態になってしまいます・・)

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コメント

  1. 五厘星人 より:

    「立つ」って表現は使い勝手良いかもしれないっすね。
    本来立たせるべき立場の消費者が、選択肢が増え過ぎって言うか、元々全然別ジャンルの物から「いや、こっちもその機能付いてるよ」的な事言われて、それは便利かな?と思ったけど、それ買うと、最近買ったアレのあの機能がまるっきり無駄になるから、さあ困った、よし!1番ロスの少ない方法を調べよう。
    と思ってブラウザ開いたら、メーカーのカタログどころか、一般ユーザーの商品批評ですら、消費者以外の誰かの方に目が向いてて「頼むから正しい地図をくれ!」みたいな状況が、与党にも野党にも採用担当にも就活生にも企業にも消費者にも蔓延してて、何をどう立てればいいのかさっぱり分からなくなってるのかな?と思ったりもします。
    長文になっちゃいました、失礼。
    これからも楽しみにしてます。

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