「再帰性」のヤバさ知ってますか?

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recursivephoto by thepeachpeddler

「再帰性」という言葉を知っていますでしょうか。「自己回帰性」とか「入れ子」とも呼ばれてるやつです。

この言葉、いったいどういう意味なのかと言うと、「あるものについて記述する際に、記述しているものそれ自身への参照が、その記述中にあらわれること」をいいます。

なんだかよく分からないですよね・・。分かりやすい例を言うとあれです。

「自分は嘘つきである」という文章です。

自分で自分のことについて言及しているこの文章、こういうのが「再帰的」なものです。

しかしこの文章、じっとよく考えると、いったい嘘を言ってるのか、本当のことを言ってるのか、なんだか分からなくなってきてしまいますよね・・。

これは有名な「自己言及のパラドックス」というやつです。

実はこういう「自分自身に言い及ぶ再帰的なもの」って、ヤバいものが多いんですよね・・。

プログラムの再帰性はヤバい!

私が会社に入って間もないころ、先輩からお仕事を頼まれてあるソフトのコードを書いていたんです。

私はそこで、関数の中で自分自身を呼び出す「再帰呼び出し」のコードを書いてしまって、先輩に怒られたことがあります。

再帰呼び出しは、延々とループに陥ってしまう可能性があったり、想定外にメモリを消費してしまう可能性があったり、いろいろと危なっかしい処理なので、製品にこういうコードを組み込んではいけないと言われたのです。

自分で自分を参照する「再帰的なもの」は、設計者の予想を裏切るような、複雑な挙動を引き起こしやすいんですよね・・。

合わせ鏡の再帰性はヤバい!

「夜中に合わせ鏡を見たらダメ!」って、よく言われていますよね。

あれって感覚的によく分かる気がするんです・・。

私が合わせ鏡をのぞき込んだときによく感じることなんですが、延々と無限遠まで自分の顔が映りこんでいるのを目の当たりにして、なんだか吸い込まれてしまうような、気が遠くなるような、変な気分になってしまうのです・・。

ストレスで参ってるときとか、自分のことに悩んでるときとかに、あれを見てしまうと

「いったいどの自分が本当の自分なのかな・・」

「自分の後ろからも自分のことを見てる自分がいるのかな・・」

とか、なんだか自分が分裂してしまうような感じになってしまって、精神衛生上よろしくない気がします。

メンタルがヘラってるときなんかは、あまり合わせ鏡とかは見ない方がいいと思うんですよね・・。

数学の再帰性はヤバい!

理系の人は知ってるかもしれませんが、非線形方程式って予測不可能な「カオス」を生みやすい性質があるんですよね。

あの性質も「再帰性」が関係していると思います。

ある量の変化が、何らかの変換を通じて、再度元の量に影響を与える。ある系のアウトプットが、フィードバックされて再度系の中にインプットされる。こういう再帰的なシステムの中って、無秩序なカオスが生まれやすいんです。

システムを制御する人は、カオスが生まれないように気を付けて管理しないといけないんですよね。

電気回路でカオスが発生すると予測不可能な挙動をして困ってしまいますし、道路でカオスが起きると車が大渋滞になってしまいますし、ネトゲーでカオスが起きると怒り狂ったプレイヤーたちが暴動を起こしてしまいます。

映画のジュラシックパークのカオス理論の学者の人も

「こんなシステムはそのうち破綻をきたして恐竜たちが大暴れするぞ!」

と警告をしていましたよね・・。

経済の再帰性はヤバい!

金融の世界でも再帰性があります。

株価は通常、周期的に上がったり下がったりを繰り返す「景気循環」をしています。

でもあるとき急激に価格が暴騰したり、逆に急激に価格が暴落したりして、人々を驚かせることがあります。

あのような激しい動きが起きるのは、人々の間で「腹の探り合い」の心理が働いているからだと思います。

周囲の人の売買ポジションを見て自分のポジションを決める。その自分のポジションを見て周囲の人がポジションを変える。

こういうイタチごっこのような再帰性が働いて、株価の値動きがどんどんと極化していって、どんどんと提灯がついてしまい、終いには人々の想像を超えるような金融パニックを引き起こすことがあるんですね・・。

心理学の再帰性はヤバい!

心理学者のラカンという人が、次のような哲学的なことを話していました。

人間は自分のことを知ろうとして、自分自身のことを参照する、「自己言及」の生き物です。でも「自己言及」によっては、決して自分を理解することはできません(自己言及のパラドックスを思い出してください)

自分を理解するためには、必ず自分以外の「他者」の目が必要になります。なので、人は自分自身を「他者の眼差し」を通じて理解しようと試みます。

ラカンは「他者は自分の姿を映し出す鏡像である」と説明しています。

人間の心の営みは全て、この鏡像としての他者と向かい合い、その中に映る自分を探し求めることに向けられているそうです。

そして人間の心の病は全て、この他者を通じてしか自分の在り方を見出せないという、「脆弱的な構造」から発しているそうです。

動物から進化して自分自身を再帰的に省みる能力を手に入れた人間は、豊かで多様で、しかし繊細で危うくもある、複雑な<心>を手に入れたんですね・・。

生物学の再帰性はヤバい!

「突然死」っていう現象がありますよね。

正常に動き続けていた心臓が、あるときいきなりプツンと停止して死に至ってしまう現象です。

以前ニュースで見ましたが、野球のボールがドンッと軽く胸に当たっただけで、不整脈を引き起こしてそのまま亡くなってしまった少年がいたそうです。

ああいう突発的な心臓の異常には、カオス現象が絡んでいるという研究報告があるそうです。

周期的に動いていた心臓に何らかの刺激が与えられて、運悪く「急所」を突いてしまうと、カオス現象が発生して心室細動を引き起こしてしまう(なんだか北斗の拳の「秘孔」みたいですね・・)。

私たちの身体の中に埋め込まれている再帰的なシステムは、普段は周期的で安定的な循環をしているように見えても、ある瞬間突然制御不能な状態に陥って、急激な体調不良をもたらしてしまうことがあるのかもしれません・・。

社会学の再帰性はヤバい!

社会学者のギデンズという人は、近代は「再帰的な時代」であると述べています。

「再帰的な時代」とは、人々が自分の在り方を自分自身で省みなくてはいけなくなった時代です。

以前までは、宗教的な「神」が存在した時代で、人は「神の理」に従って生きていれば良くて、自分で自分の在り方を悩むような時代ではありませんでした。

しかし、近代は神様が死んでしまった時代で(哲学者ニーチェは『神は死んだ!』と言いましたよね)、人間は自分たちの理を自分で見つけ出さなくてはいけなくなりました。

自分は何のために生まれて何をして生きるのか、こういうアンパンマン的な厳しい問いかけに、個々人が答えを出さなくてはいけない時代になったのです。

自分自身に再帰的な問いかけを繰り返しながら生きていかなくてはいけない時代、こういう時代では今まで当たり前のようにできていたことができなくなります。

「なんで他人に親切にしなきゃいけないの?」

「なんで夢や希望を持たなきゃいけないの?」

「なんで人を殺しちゃいけないの?」

これらの超難問にスラッと答えられる大人は滅多にいないと思います(もし神様のような超越的な存在がいたならば『俺が言ってんだからそうしろやオラァン!』と一喝してくれますが)

人生の骨組みを成すはずのこれらの考えががらんどうのまま、人々は「存在論的不安」に苛まれながら生きていかなくてはいけません。

近代は自分の価値を自分で見つけられない、「自己価値の迷子」になってしまった人にあふれてる時代なんですね・・。

まとめ!

以上、理系・文系問わず各ジャンルにまたがる「再帰性」についてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

再帰性ってミステリアスで奥深くて、なんだか危険な香りがしますよね。特に、今まで定常状態にあったものがなんかの拍子に「ピョン!」とひとっ跳びで混沌状態に遷移してしまうカオス現象なんかは、ゾクゾクするものがあります。

再帰的な近代社会は、とても変なことがたくさん起きる社会なんです・・。

経済的に豊かなのに幸福度が低かったり、生活に困らないほどモノにあふれてるのに自殺者がたくさん出たり、男女の出会いがたくさんあるのに子供が生まれなかったり、犯罪率が減ってるのに犯罪不安が蔓延したり、おまけに経済ショックが相次いで金融市場の乱高下が続いたりもしています。

日本は「課題先進国」と言われていて、こういう「近代特有の病」がとても色濃く表れる社会だそうです。

もし、近代社会に「ビリッ!」と裂け目が生じて混沌としたカオスが現れる瞬間が訪れるとしたら、もしかしてそれは日本から起きるのかもしれません。

私が生きている間のその瞬間が見られるかどうかは分かりませんが、ちょっぴり不安混じりの期待感とともに、ドキドキしながら待ち構えています・・。

以上、ほんとなのかウソなのかよく分からない与太話を延々としてしまいましたが、この話、信じるか信じないかはあなた次第です m9(`・ω・´)ビシッ

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