photo by Myeong mo Koo
こんにちは!ネット炎上ウォッチャーのもです!
最近とっても興味深い炎上事件がありました!
立命館大学が論文の中でpixivのR-18小説を作者に断りなく引用してしまい、ファンたちから大ひんしゅくを買ってしまったという事件です!
ネットでは「立命館大学はひどすぎる!配慮が足りない!」という声や、「いや、立命館大学は悪くない!引用は正当な行為である!」という声が衝突して、SNSで激しい議論を呼びました!
以下、私が今回の炎上騒動で思ったことを、つらつらとメモ的に記してみたいと思いますね・・。
腐女子ヘイトの問題!
この問題が炎上した発端として、以前からネット上に密かに存在する「腐女子ヘイト」の問題があると思いました。
同人界隈の一角である「腐女子コミュニティ」はBL系の作品をよく扱っていて、ここにはしばしばネットを中心としてかなり風当たりの強いバッシングがあるそうです。
特にBL系の作品は「オタ系男子」たちから、頻繁にディスられているように感じられます(私の個人的な感覚ですが・・)
一部の統計によると、男性は女性に比べて同性愛的な表現を嫌う傾向があるそうなので、世の男性たちはこういう作品が目の当たりにしてしまうと「ウッ」となってしまうような、拒絶感を覚えてしまいがちなのだと思います。2chのスレとかでも、腐女子の活動に対して手厳しい批判が加えられているのを、よく目にすることがありますね・・。
聞くところによると、腐女子たちはSNSなどを通じていろいろ個人的な嫌がらせなども受けているそうです。腐女子たちはネット上で自分たちの活動が人目に触れることに、とても防衛的になっているのだと思いますね・・。
ゾーニングの問題!
腐女子たちは自分の活動を「ゾーニング」によって人目に触れにくいところに囲い込もうとします。
恥ずかしながら私「ゾーニング」という言葉の真の意味を今回初めて知りました。ネットにおける「ゾーニング」とは、たんなる「情報を適切に分類すること」みたいな意味とちがっていて、もはや近年では「住み分け」という意味で使われているんですね・・。
R-18作品が好きな人だけが集まるように「ゾーニング」をして、BL作品が好きな人たちだけが集まるように「ゾーニング」をして、その分野の愛好者だけが集まる「コミュニティ」が形成されるのだということです。
そしてこの「ゾーニング」に付き物なのが、以前ブロガーの小野ほりでいさんも指摘していた「ゾーニング破り」というものです。
腐女子界隈に嫌悪感情を抱いている人が、一部の作品をゾーニング空間から持ち出して晒しあげにして、炎上騒ぎを焚き付けたりするんです。
この炎上騒動の広がりには往々にしてまとめサイトが絡んでることが多いです。まとめサイトは炎上を焚きつけることによって生計を立てている人たちですからね・・。
恐怖のゾーニング破り!
この「ゾーニング破り」に対してとっても敏感になっている腐女子たちの身に起きたのが、今回の「立命館論文引用騒動」というものです。
腐女子たちは、自分たちの秘密の活動が理解のない人たちの目に晒されて、炎上バッシングを受けてしまう事件を繰り返し目の当たりにしています。
作品が引用された論文の中で肯定的な印象で取り上げてもらえるならまだいいと思いますが、論文の中には「有害データ」というなんだか不穏な響きのある記述が見受けられます。この引用のされかたは、過去に繰り返されてきた数々の炎上騒動の記憶をフラッシュバックさせるものがあります。
なので今回「あの反応」が起きてしまったのだと思います。
立命館大学の引用に怒った人々の大量の抗議声明がツイッターに書き込まれて、炎上事件にまで発展してしまったのです。
今回の炎上事件では、案の定まとめサイトに取り上げられ、そこでは腐女子バッシングのような言説もたくさん書き込まれてしまいました。
腐女子を含めたpixivの住民たちが「炎上が起きてしまいそう」と感じたこと自体が現に炎上を呼んでしまうという皮肉な事態、今回の出来事の発端には「予言の自己成就」とも言えそうな、なんだか悲しいボタンの掛け違いがあったのだと思いますね・・。
失墜しまくっている大学の権威!
以上が炎上の1ラウンド目だとすれば、以下は2ラウンド目の展開です。
2ラウンド目では「大学側の言い分が正しい!」という声が多数上がり、引用の要件や研究のための倫理規定など、話がかなり難しげな内容に飛び火しました。
たしかに普通の感覚だと、研究・教育・報道とかを目的とした活動は、法的にかなり多めに見られる傾向があると思います(私は法律のこととかあまり知らないのですが・・)
それはおそらく、こういった分野の取り組みが、社会に対する公益性が高いことや、国家権力の干渉に対して人々が対抗するための重要な拠点に成り得るために、多めにみられてきた歴史があるのだと思います。
しかし、最近の世の中を見渡してみると「そんなもん知らん!」という空気が、人々の間に徐々に広がってきてると思います・・。
テレビ局の押しかけレポーターなんて100%迷惑な存在ですし、近所の保育園や小学校だってうるさい騒音を出すならクレームを入れたくなりますし、大学の研究者なんて意味わからんことを言ってるただのメガネのおじさんです。
以前だったら大学側も「調査目的」という名目でちょっぴり強引に市民の協力を得られていたのかもしれませんが、これからの世の中なかなかそうは上手くいかなくなってきてると思います。
市民から言わせると「誰だか知らんが私たちに迷惑かけんなよ!」と一蹴というわけです。
今回ネットでこれだけカジュアルに大学研究への批判が集まってしまった背景には、世の中から大学やテレビ局や新聞社などがもつ「公の権威」みたいな錦の御旗の効果が、失われつつある現状があるのだと思いますね・・。
(逆に最近「消防士や警官や自衛隊」といったフィジカルで実際的な公の活動の方に、好感が集まってる気がします・・)
公をとるか個人をとるか!
今回の炎上騒動から浮かび上がる問題の一つは、引用なども含めた「個人の情報をどう取り扱うか?」という問題だと思います。
現在、他人の作品を引用して自由に批評・研究できることは、法的に許されてる行為です。
でも、日々進化を遂げて個人の情報がビュンビュン飛び交うネット社会の中では、今回のように「引用」によってトラブルが起きてしまうケースもあるということです。自分の公開した情報の使われ方をより細かにコントロールできる法的・技術的なニーズは、どんどん高まっていると思います。
今回の炎上騒動で争われた一つの側面は「公で自由に何かを論評する」ことができる文化的な豊かさをとるか、それとも「自分の情報をコントロールして身を守る」ことができる個人の生活の豊かさをとるか、ということがあったと思います。
公(文化)の豊かさと個人(生活)の豊かさ、どちらの豊かさをとるべきなのかという価値観をめぐる論争であったと、私にはそう見えました・・。
オープンにするかクローズドにするか!
さらに浮かび上がるもう一つの問題点は、「ゾーニング(住み分け)」だと思います。
今回の構図を抽象的に言うとこういう感じだと思います(果てしなく抽象的に言います・・)
互いに接触すると軋轢を生みかねない集団が「住み分け」によって区分されていました。その住み分けの区分を越境しようとする動きがあり、それに対して猛反発が起きたのです。
この越境の動きに対して、いったい厳しい制限を課すべきなのか、もっとカジュアルな許可を与えるべきなのか、どちらにするべきなのでしょうか。
ゾーニングをあまりに厳しくしてしまうと、多様な意見が交わることがなくなり、「見たいものだけ見る」的な視野狭窄や、ある種の文化の貧困化が起きてしまうと思います(最近のネットは「タコツボ化してる」とよく批判されていますね・・)
しかしゾーニングをあまりに軽視すると、集団同士の軋轢やヘイトの応酬が起きてしまい、行くとこまで行くと暴力沙汰にまでなってしまう可能性などもあると思います(最近津田大介さんが「ヘイトの温床であるヤフコメは閉鎖すべき!」と言って炎上してました・・)
今回の炎上事件で争われた一つの側面は、「住み分け」はいったい良いことなのか悪いことなのか。もし「住み分け」をするならば、いったいどの程度の住み分け方が我々を一番豊かにしてくれるのか、という価値観をめぐる論争であったと、私にはそう見えました・・。
コメント
気になっていた事件でしたので、面白く拝見させていだだきました。事件自体の問題としては、些細ながら住み分けされてたのに〔r-18と明記して自己責任な形ではあるものの制限していた、ピクシブに登録しないと見れないので一般公開とは言い難い〕、論文だからと公開した配慮の足りなさ〔筆者の住み分け配慮を無下に扱い、公共に見えるようにした〕が根本だと思います。ネットモラルの為の研究論文がネットモラルに抵触したという皮肉もスパイスになっると思います。どちらかというと論文書く側が、ネット引用時に法人または公共のデータを原則とし、個人のものは引用を控える、という形が一般的落ち所ではないでしょうか。あくまでこれも個人感想ではありますが、ささやかながら思考の手助けになればと思います。