奇蹟のポケモンカーニバルの開幕だ!

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pokemonphoto by Matthew Hadley

ついに「ポケモンGO」が日本でも配信開始されましたね~!

私もさっそく昨晩スマホにアプリをインストールして、家の近所をフラフラと深夜徘徊しながら、ポケモンを数匹ほどゲットしてきました(あんまし怪しげに歩き回ると警察に不審者扱いされてしまいそうなので、ほどほどにしないといけませんね・・)

今世界中の人々が熱狂しているこの「ポケモンGO」ですが、なぜこんなに大ヒットを飛ばすことができたんでしょうかね・・?

今回はこの「ポケモンGO」の人気の秘密について、いろいろ考えてみました・・!

カーニバルと化したポケモン!

「ポケモンGO」は現在30ヵ国以上の国で配信されているそうです。おそらくこのゲームのユーザー数は、現時点で一億人にも達しているのではないでしょうか・・?

これほどの人々が参加する超大規模なヒットゲームともなると、おそらくその影響力は「オリンピック」や「ワールドカップ」にも匹敵するといっても過言ではないと思います。

ポケモンGOは単なる「ネット上の祭り」を超えて、もはや本当の意味で「カーニバル」と化しているのかもしれません・・。

哲学者のミハイル・バフチンは「カーニバル(祝祭)」について次のように述べています。

「カーニバルは世界の支配構造を滑稽な笑いと共に徹底的に解体する試みである。そこでは人間が動物の真似をしたり、貧民が国王に扮したり、あらゆる価値観が倒錯し転覆する。人々はこの乱痴気騒ぎの中で、神聖なもの、高貴なもの、権威あるものを自らと同じ地平に引きずり降ろし、全てが平等であった原初の瞬間に立ち戻る」

カーニバルをしている人々は、お祭り騒ぎの熱狂の中で普段自分たちを支配している価値観を笑い飛ばして、その立場の転倒させ、解体させることを楽しんでいるということなんですね・・。

価値を解体させるポケモン・ワールド!

たしかにポケモンGOの面白さのうちの一つに価値の解体(というより再構築?)というのがある気がします。

ポケモンGOの世界では、普段見慣れたしょぼれくたお店や近所の公園が「ポケストップ」や「ジム」と化して、新たな価値が付与されます。

私も自分の街をテクテクと歩いてみて「こんな建物があったのか~」と、なんだか色々な発見ができてとっても新鮮な気分を感じましたね・・。

またこのゲームでは、有名な神社や、軍事基地や、皇居やといった場所までも、容赦なく「ポケストップ」に指定されてしまっています。

ツイッターを見ると、さっそくこういう重要拠点を使った不謹慎ネタを炸裂させている人々がいるようですが、でも神聖な立ち入り禁止区域に可愛らしいポケモンキャラがチョロチョロ走り回っているのを見ると、なんだか悪ふざけして写真とかを撮ってしまいたくなる気持ちも分かる気がしますね・・。

「ポケモンGO」というフィルタを通して見た世界では、その場所が持つ価値が全てポケモン流に塗り替えられてしまい、もはや荒地だろうと聖域だろうと、みんなポケモンの遊び場所と化してしまうということなんですね・・。

ポケモンGOではプレイ開始時点ではみんな一兵卒です。今の段階ではそんなにレベルの差がないので、みんな公平なスタートラインからゲームを進めることができます。

そのうち廃人プレイヤーたちが幅を利かせるようになるのかもしれませんが、今はつかの間の平等を楽しんでプレイすることができそうです。

現実の人生で負けてる人々は、ぜひポケモンGOを頑張ってプレイしてみんなを見返してやりましょう(ポケモンマスターになれば世界中の人たちから尊敬を集められるかもしれませんよ!)

ハレとケとポケモン!

その昔民俗学者の柳田國男さんは「ケとハレ」という概念を提唱しました。

「ケ」とは人々が生活を営む「日常の空間」のことです。

会社で仕事をしたり、学校で勉強をしたり、家で炊事洗濯をしたりといった、面倒くさくてしんどくて退屈な、ストレスのたまる空間のことですね・・。

一方「ハレ」とは、「ケ」の生活で溜め込んだ悪いエネルギーを浄化するための「祭りの空間」のことです。

昔の人々は定期的に村で「祭りの行事」をすることで、日々溜め込んだ悪い感情を浄化する営みをしていたそうです(いわゆる「ハレの舞台」というやつですね)

現代人はこの「ケとハレ」の境界が曖昧な世界で生きていて、うまく「感情のガス抜き」ができていないことが問題視されているそうです。

そういう意味で今回の「ポケモンGO騒動」は、とっても「ハレの効果」がある営みなんだと思いますね。これほど大規模で、みんなで打って一丸となってドンチャン騒ぎができる機会はなかなかありません。

最近アメリカの精神医学者の間で「ポケモンGOがうつ病に効く!」という噂が広がっているそうですが、それは今回のお祭り騒ぎが人々の鬱積した感情を浄化する「カタルシス効果」をもたらしたからなのかもしれません。

世界中が熱狂できる「カーニバル」が少なくなった昨今の時代、「ポケモンGO」は人々に訪れた貴重なハレの時間帯なんですね・・。

みんなが「ノレる」お祭りがなかなかない!

2020年に東京でオリンピックが開催されることが決定していますが、なんだか日本国民たちの反応が冷ややかな気がするのは私だけでしょうか・・?

(巷では「オリンピック中止!」といった声もチラホラと聞こえてきています・・)

「オリンピック」や「ワールドカップ」はまさにカーニバル性を持つお祭りの一種だと思いますが、最近人々が本気で「ノレる」お祭りが減ってきている気がします・・。

この背景には、たぶん「お祭り」を支える裏舞台が透けて見えてしまってることが関係してるのかもしれません。

「スポーツに政治やお金が絡んではいけない!」と大昔からよく言われていますが、その実態は裏で利権団体がガッツリと糸を引いていて、どこかの誰かさんが「坊主丸儲け」をしている構図にあることが、ありありと示されてしまっています(あまりに堂々とそれをやるのでもうちょっと隠してもらいたいくらいです・・)

貧富の格差がますます開いていく昨今の時代、人々はこういう「お金」や「政治」の問題に、とっても敏感になっているのだと思います。

全ての支配構造が解体されて、人々が平等の地平に立つのがカーニバルの醍醐味なはずなのに、こんな構造が透けて見えてしまってはカーニバルというものが成り立たなくなってしまいます。

みんなも本当はお祭りに「ノリたい」のに、いろんな大人の事情が気になってしまってなんだか「ノリきれない」、そんなもどかしい気持ちを感じているのではないでしょうか・・?

ポケモンキャラでノリノリになっちゃいなよ?

人々が「ノリたい」のに「ノレない」問題はいったいどうしたらいいのでしょうかね?

私は「ポケモンGO」がそれをうまく解決していると思います。

ポケモンのキャラは無邪気で可愛らしくて、一点も曇りのない「ピュア(?)」な存在だと思います。

これは「AKBのメンバー」とか「アニメキャラ」とか「声優さん」についても同じことが言えます。

彼ら(彼女たち)は全く私利私欲など持たない超清廉潔白で神性を帯びた存在、ある意味神がこの世に人間の姿を借りて現れた存在なんだと思います。あのひねくれ者のネット民やオタクの人たちでさえ、彼女たちの言うことだったらなんだって聞きますよね。彼女たちの「キャラ」にはそういう説得力があるんだと思います・・。

(一部の信仰心が薄い人々の中には、神聖なキャラたちの言うことを信じられずに、大人の裏事情を透かし見てしまうこともあるかもしれませんが、そういう人はしょうがないので、シレーっとした目をしながら、テレビでお祭り騒ぎを見ていてください・・)

最近の冷めた現代人にとっては、おそらくこういう「あの人にだったら搾取されてもいい!」と思えるような超越的な存在を打ち立てないと、もはやカーニバルというものが成り立たないのかもしれません。

哲学者ニーチェは「神は死んだ!」と言い、社会学者マックス・ウェーバーは近代を「脱魔術化した時代」と呼びましたが、現代の魔術はまさにここにあるのだと思います(魔術ではなくて詐術かもしれませんが・・)

やっぱり、お祭りにはそれを司る神様がいないと締まりが付きませんものね。私も自分が心から信奉できる神様を見つけて、なにかに熱中してみたいものです(ポケモンGOをやり続ければ、あるいはそれが見えてくるのでしょうか・・?)

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