photo by cuatrok77
もはや誰も読んでいないこのブログですが、面白いことを思いついたので、ちょっと覚え書きをしておきたいと思います・・。
先日ある新聞の投書欄に、中学生の女の子が「私たちオタクはずっと差別され続けてきた!」と憤慨している記事が掲載されて、ちょっぴり話題になっていました・・。
この記事を読んでいて、わたしはなんだか違和感を覚えたんですよね・・。
私の記憶をたどると、オタクの人たちが一番差別されていたのって80年代くらいが全盛期で、たぶん2000年代あたりからオタクの待遇はだいぶ良くなってきた気がします。
私は2000年代を過ごしてきた世代ですけども、あのころは2chとかニコニコとか電車男とかが流行っていて、むしろオタクにたいしては「面白くてちょっとかっこいい!」みたいな良い印象が広がり始めた時期です・・。
そう考えると、この女の子が感じている怒りはなんだか不思議な気がします。ひょっとしてこの子は自分が差別されてきたことに怒っているのではなくて、自分が生まれる前の「オタクが差別されてきた歴史」を我が身のように感じて、それに怒っているのではないでしょうか・・?
「オタクが差別されてきた歴史」と「自分史」が、頭のなかですり替わっていて、まるで自分が迫害されてきたような歴史観が出来上がっていて、それに被害感情を覚えて世の中に怒っている可能性があります・・。
この子はきっとオタクを卒業したら、もう怒るのをやめるのではないでしょうか。そして新しくオタクになった人たちが、また同じように被害の歴史を受け継いで怒り出すのだと思います。この「怒り」は特定の個人に宿っているのではなくて、「オタク」というコミュニティ自体に宿っているものなのです・・。
「被害感情」や「憎悪感情」って「個人に宿る場合」と「コミュニティに宿る場合」があるんだと思います。そしてこの感情を治癒するためには、きっとそれぞれ別の対処法が必要なのです・・。
個人の被害感情を鎮めるためには、その個人に手当をしてあげればよいだけです。でも共同体の被害感情を鎮めるには、きっとそれだけでは駄目だと思います。
極端なことを言うと、その共同体のメンバー全員に手当をして救済してあげても、「共同体の被害感情」だけが亡霊のように生き残って、あたりを徘徊する場合もあると思います・・。
この特殊な怒りを鎮めるには、とても巧妙な「象徴行為」が必要なのだと思います。とても権威のある人が大勢の見てる前で大っぴらに謝罪したりとか、でっかい記念碑を作ったりとか、おそらくそんな感じの「禊」が必要なのです・・。
政治家の人なんかは、この種類の怒りの対処法を見誤ってはいけないと思います。怒れる民衆の感情の源がどこにあるのか、正確に見極める必要があるのです・・。
といういったい何に役に立つのか分からない、なんだかフワフワしたお話をさせて頂きました・・。
以上です・・。
コメント
いつも読ませていただいてますよ!
社会学(?)は至るところで使えるので「もブログ!」は重宝します!
これからも頑張って続けて頂けると、私の生活の楽しみが失われずに済みますのでどうか宜しくお願いしますw
私も毎回楽しみにしています。メチャクチャ面白いです。