photo by Ashley Linh Trann
最近テレビで「働き方改革!」という言葉をよく耳にします。
安倍さんが9月に「働き方改革実現会議」というのを発足させて「労働時間短縮!」「残業規制!」「同一労働同一賃金の実現!」といったことを掲げて、いろいろ労働環境の改革を検討するそうです。
日本のブラックな労働環境にもやっとメスが入り始めたということなんでしょうかね・・。
日本人は「仕事嫌い」なことにたいへん定評がある民族で、内閣府とか民間の調査団体とかが「仕事の充実度」「愛社精神指標」「組織コミットメント尺度」といった統計をとると、たいてい先進国の中でも最下位に近いスコアを叩き出します。
こと「仕事嫌い」にかけては金メダル級の日本人ですが、みんな何でこんなに仕事が嫌いになっちゃたんですかね・・。
今回は日本人の「仕事嫌い」の謎について、いろいろ考えてみたいと思います!
「仕事で自己実現!」のエートスが刻み込まれている日本人!
この前「無縁社会の正体」という本で読んだのですが、昔(昭和の頃)の会社というのは、人々の生活の基盤となるような「共同体」の役割を担っていたそうです。
「会社共同体」は終身雇用によって生涯自分を養ってくれるありがたい存在であり、社員たちはその恩恵に報いるために、滅私奉公のようにバリバリと仕事に励んでいたそうな(バブル期には「24時間戦えますか?」とか「5時から男!」みたいな勇ましいCMが流行っていたそうです・・)
世の男性たちには「会社に勤めて仕事に励むことこそが男の本懐!」といった就労倫理、「仕事で自己実現!」のエートス(習慣)が徹底的に刻み込まれていたんだと思いますね。
しかし90年代に訪れた「バブル崩壊」によって雇用は不安定になり、会社は「共同体」と呼べるほどの包摂性をなくしてしまいました(転々と職を変えることが当たり前の時代になってしまったのです)
労働者たちは不安定な労働環境の中で、社会的な自己実現の機会を奪われてしまい、ある種の「アイデンティティ・クライシス」ともいえるような、鬱々とした不全感にさいなまれるようになってしまったのです。
仕事しか知らない人から仕事を奪ってしまうと、こんな悲惨なことになってしまうんですね・・。
承認不安の時代!
崩壊したのは「社縁(会社の縁)」だけではありません。人間関係が希薄なこの時代、「血縁(家族の縁)」や「地縁(近所づきあいの縁)」といったあらゆる縁がすでに崩壊気味です。
この前「承認欲求不安の時代」という本で読んだのですが、現代の日本人はとっても「承認」に飢えてる人が多いそうです。
幼少期に周囲の大人たちから守られてる感覚に乏しく、「無条件の安心」をうまく与えられなかった子どもは、自尊感情が低くて「承認不安」を感じやすい性格になる傾向が高いそうです。
そして承認不安を抱えている人というのは、親に認められるために良い子を演じて、学校で認められるために優等生を演じて、会社で認められるために優良社員を演じるような、周囲の欲求にひたすら応えようとする「過剰適応」気味な性格を持っているそうです・・。
心の隙間を突くブラック企業!
こういう人は、最近世にはびこる「ブラック企業」から見たらかっこうの餌食といえます。
彼に「もっと頑張れないのかね?」とか「代わりはいくらでもいるんだよ?」とか「君には失望したよ・・」みたいな「見捨てられ不安」を煽るような言葉をかければ、きっと馬車馬のように必死で働いてくれるはずです(それこそ過労死してしまう程にです・・)
ブラック企業の経営者は、「仕事で自己実現!」というエートスが刻み込まれている日本人の性質を、そしてメンタルに「承認欲求不安」という弱みを持つ現代人の性質を、巧みに突いてくるんですね(なんてズルいやつらなんでしょう・・!)
こうして社員を感情的にコントロールして、強迫的に仕事に駆り立てる方法というのは、経営者の常套テクニックであり、多かれ少なかれどんな会社でもやっていることだと思います。
日本の労働者の会社への不信感、仕事への不満感というのは、こういった「頑張らないと見捨てられる」「一生懸命やらないと否定される」といった、承認不安を煽るようなネガティブなプレッシャーが蔓延していることが、根底にあるのかもしれません。
いつから企業と労働者はこんなギスギスした関係になってしまったんでしょうかね・・。
ネットにうずまくジャップ労働批判!
私の入り浸っているSNSでは、毎日のように仕事の不満を漏らす声が大量に書き込まれています。
「今月は残業80時間超えた!」とか「残業代とか貰ったことないわ!」とか「上司が無能すぎて腹立つ!」とか、毎回似たような書き込みが怒涛のように集まり、世間には相当な「会社への怒りのエネルギー」がうずまいていることを感じさせられます・・。
みんなの発言内容を見ると、労働時間が多すぎることや、残業代が出ないことや、非効率な仕事の進め方といった「劣悪な労働環境」に怒ってる声が多い気がします。
不況で経営難に陥る会社が多いこの時代、社員をひどい条件でコキ使うブラック企業が増えてきていることも確かだとは思いますが、しかし、彼らが本当に怒っているのはそういう点なのかな?とちょっぴり疑問に思うところもあります。
私はなんとなくですが、多くの人が本当に怒ってる真のポイントは、上で挙げたような「承認の問題」「自己実現の問題」「社会的アイデンティティの問題」といった、人間の内面の問題・尊厳の問題が多くを占めているのではないかという気がしています。
以前もブログで似たようなことを述べましたが、人は自分の内面のモヤモヤした問題(エートスと現実の葛藤・承認不安・居場所のなさ…etc)を表現するときに、多くの場合「物理的な問題」「身体的な問題」「経済的な問題」に置き換えて表現する傾向があると思います(「問題児童」がいたときに、家庭環境を疑う前に「発達障害」と真っ先にラベリングしてしまうのと似ています)
中には本当に身体が参ってしまう程の酷い労働環境に置かれている人もたくさんいるとは思いますが、しかし、人々のアイデンティティの不全感からくる怒りが、「労働時間」や「賃金」や「福利厚生」みたいな現実的・実利的問題として表現されているケースも、多いのではないかということです。
こういう人間の内面の問題、大げさにいってみれば「存在論的な不全感」みたいなものを、「働き方改革」でちゃんと手当できるのか、ちょっと不安を感じますね・・。
もし「働き方改革」がうまくいって、残業時間がめっきりと削減されて、賃金がしっかり支払われるようになったとしても、「仕事のつまらなさ」「承認の満たされなさ」「自己実現にまつわる不全感」みたいなものは、そのまま残ってしまうのかもしれません・・。
いったいこういう問題にメスを入れるために、国はどういう施策を打ったらしたらいいんでしょうかね、難しい問題です・・。
自己複雑性を高めるんだ!
こんなアイデンティティ・クライシスな時代に、我々が身を守るためにできる対処法とは、いったいどういうものがあるんでしょうか?
私がこの前読んだ文献で「自己複雑性」という、とってもよい概念が紹介されていました。
「自己複雑性」とは、自分が誇りに思えるアイデンティティを分散的に持っている性質のことです。家族関係や友達関係に恵まれていて、趣味をたくさん持っていて、仕事にも精を出している、こういう「多面的な自己」を持っている人は、精神的ショックに強くて(=レジリエンスが高い)、安定的な幸福感を持っている傾向があるそうです。
一方「仕事一筋!」みたいな一球入魂な人は自己複雑性が低くて、アイデンティティが傷つけられる経験をすると心がポッキリと折れてしまい、ズルズルと抑うつ状態に落ち込んでしまう傾向があるそうです(=レジリエンスが低い)
経済の見通しが立たず、労働環境が不安定な昨今の時代、仕事を唯一の自分の誇り・社会的アイデンティティとする態度は、とってもリスキーなあり方なのかもしれません。
リスクヘッジの観点からも、自分の居場所をたくさん持ち、多様な自己像を持っている人の方が「健康・安全・幸福!」ということなんだと思います。
「アイデンティティ」と「リスクヘッジ」、こんなにミスマッチな言葉があるのかという感じもいたしますが、もはや自分のアイデンティティの問題さえ、合理的に管理しなくてはいけない時代になってしまったということなんですね。
恐ろしい時代になりました・・。
まとめ!
以上、日本人の会社嫌いについてだらだらと感想文を書き連ねてみましたが、いかがでしたでしょうか?
古き良き「会社共同体」が崩壊して、自己実現の場所を失ってしまった人々が、それでもなお仕事に望みを託し、そして裏切られ失望していく。これが日本人の会社嫌いの源流にあることなんだと思います・・。
現代は全てが流動的に変化する「リキッド・モダニティ」の時代だと言われています。
こういう何が起きるか分からないリスキーな時代に対処するためには、何事にも準拠せず、しかしちょっぴり準拠したりもしながら、適当・適切な距離感で世界と付き合っていく態度が、うまい作戦なんだと思います。
以前もブログに書きましたが、最近の若い人は確かにこういううまい生き方をしているように感じられます(コンサマトリーな生き方というやつですね)
私は、仕事が嫌で嫌でしょうがなくて、家でむっつりと引きこもってしまってる系の人間なんですが、こういう人間はいったいどうやって生きていったらいいのでしょうか・・。
私には「働き方改革」よりむしろ「働きたくなさ改革」の方が必要なのかもしれません・・・(´;ω;`)