「〇〇ロス症候群」ってなんなの

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smaplossphoto by Pete Markham

最近よく「〇〇ロス症候群」っていう言葉を耳にします!

NHKの「あまちゃん」が終了して心にぽっかり穴が空いてしまう「あまロス症候群」とか、TBSの「逃げ恥」が終了して他に楽しみがなくなってしまう「逃げ恥ロス症候群」とか、SMAPが解散してどんよりと抑うつ気味になってしまう「SMAPロス症候群」とか、世の中にはそういう「〇〇ロス」という言葉がたくさんあふれています。

いったいなんでこんなに「〇〇ロス症候群」が日本中に流行するようになってしまったんでしょうかね・・?

「〇〇ロス」の背景にあるもの!

「〇〇ロス」みたいな現象って、実は大昔からよくよくあることで、最近になって物好きなメディアたちが勝手に名前を付けて持てはやし、面白おかしく取り上げるようになっただけだという説があります。

しかし、それでは話があまりふくらまないので、ここではあえて言ってみます。この現象の背景には、昨今の「人々のつながり方の問題」「コミュニティの構造の問題」が隠れているのだということを!

最近のコミュニティというのは「フラッシュモブ」的だという指摘がよくなされています(ネット上のコミュニティなんかは特にそうです)

何かの興味を共有した人々が突発的に集団をつくって、みんなでワッ盛り上がって、コトが終わるとサッと解散してしまうという、とってもインスタントなコミュニティだということです。

このコミュニティの中心にはしばしば「商品」を「ネタ消費」するという構造があります。

「ドラマ」とか「アニメ」とか「話題の商品」を中心として、ネット上で意気投合した人々が即席のコミュニティを形成して、SNSでいろんなことを語らい合って、ときにはオフ会なんかもして、一時のお祭り騒ぎを楽しむという、そんな構造です・・。

フラッシュモブ的なコミュニティとは!?

こういうインスタント・カップヌードルのような即席コミュニティって、なんだかちょっと危険なところがあると思います。

仲の良いお友達がたくさんいて「フェイス・トゥ・フェイス」で付き合える人間関係をしっかり持ってる人は大丈夫だと思うんですが、私みたいなネットに入り浸ってる孤高の人にとっては、「このネット上のコミュニティこそが自分の全て!」みたいに、非常に入れ込んだ視野狭窄な状態になりやすい傾向があると思います(私だけですかね・・?)

「商品」というのは次から次へと生産され、消費されるように仕向けられたモノです。

そんな「商品」が人々の共同性の担い手になってしまうと、次から次へと生まれては消える、非常に持続性のないコミュニティが、ポコポコと大量生産されてしまうことになります。

こういう寿命が短い「一時の花火」みたいなコミュニティでさみしさを紛らわせていると、そのコミュニティが消滅するたびにどんよりと孤独感にさいなまれ、また別のコミュニティでそれを紛らわせるという、悪い循環に陥ってしまう可能性があるということです(そしてそれこそが「商品の作り手」が狙っているところでもあります)

社会からサステナブル(持続可能)な共同性が失われ、人々がそれを埋め合わせるように、フラッシュモブ的な「一瞬で終わる共同性」を頼りにするようになったこと、これこそが「〇〇ロス症候群」をもたらす原因の一つなのかもしれません・・。

「SMAPロス症候群」はかなり深刻!?

「ドラマ」や「アニメ」はワンクールで終了する作品ですが、「SMAP」については少々話が違う可能性があります・・。

SMAPは結成から30年近くも活動してきたグループで、そのファンたちの集まるコミュニティは大規模で、歴史があり、かなりディープな思い入れがあるものだと思います。

そんなSMAPが解散するとなると、ファンたちにとってはテレビドラマが終了することとは比べものにならないほどショッキングな出来事であるはずです。

私は最近よく「SMAP解散」についてのつぶやきを収集してるんですが、しばしばファンの人たちのとっても悲痛な声を目にします。

多くの「〇〇ロス症候群」という言葉は、話半分の「ネタ」みたいな語感がありますが、「SMAPロス症候群」に関しては、かなりガチと言えるほどの深刻なオーラを感じさせられます・・。

SMAPというのは人々の間でそれだけでかい存在であった、ということなんだと思いますね・・。

コミュニティが消えた後に残るもの!

ずっとSMAPを追いかけていたファンの人たちは、ファンクラブの活動とかライブ活動とかを通じて、たくさんの知り合いができて、中には仲良しのお友達になった人なども多いかと思います。

そんな「仲良し」ができたファンの人たちは、ぜひSMAPが解散してもその交友関係を続けてほしいですね。「SMAPは解散したけど、私たちはずっと友達だよね!」みたいな関係って、なんだかとっても良いと思います。

SMAPが解散しても、その後もメンバーの活動をずっと応援し続けたり、お友達になった人同士の繋がりが残り続けることって、とっても示唆的なことです。

こういう風にコミュティが消え去った後もしっかりと残るものがあることって、そのコミュニティがちゃんと「生きたもの」であったことを意味することだと思いますからね。

「商品に宿る共同性」にもこういう「後に残るもの」があるといいと思うんですけど、なかなかうまくいかないみたいですね。「ネタ消費」によって形作られる共同性というのは、ゆるくて希薄な繋がりを大量生産・大量消費する、なんだかかなしい装置と化してしまっているように見えます・・。

最近世の中にはこういう風に後に残らず、「出来事」が終わると人々の記憶から綺麗さっぱり消え去ってしまう、歴史性がないものが多い気がします(長渕剛さんもこの前のFNS歌謡祭で「日本から歌が消えていく・・言葉が消えていく・・」と世間の風潮を嘆いておられました)

我々はまるで小さなお祭り騒ぎが終わると再び元の地点に舞い戻るタイムループの空間に閉じ込められてしまっているようです。いったいなんで物事が人々の記憶に留まらなくなってしまったのか、いったいなんで世界から歴史が消えてしまったのか、この問題は今度じっくり考えてみたいところです・・。

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