ネット炎上の源にあるもの、それは浮遊する記号、外傷的な穴。

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holephoto by キン肉マンDVD鑑賞日記

こんにちは!ネット炎上ウォッチャーのもです!

相変わらず世間ではものすごい勢いでネット炎上が発生していますねー!

「人工透析患者は死ね!」と暴言を吐いた某アナウンサーの問題とか、東京メトロの広告の萌え絵が性的でいやらしいとバッシングされた問題とか、欅坂46の子たちの衣装にナチスのモチーフが使われた問題とか。

毎日ものすごいサイクルで炎上案件が発生して、そしてあっという間に忘れ去られていきます。

どうして私たちはこんなに炎上騒動を繰り返してしまうようになったんでしょうか・・?
いったい私たちはこのお祭り騒ぎを通じて、なにを求めているんでしょうかね・・?

今回は「ネット炎上」がそもそもなんで起きるのか、その源にあるものはなんなのか、そんなことについて、いろいろと考えてみました・・。

意味が失われた時代!

「ネット炎上」とはいったいなんなのか。

それは一言でいうと、人々の間で失われた「意味」や「価値」を作り出そうする営みである、という説明ができそうです。

なんだか意味不明ですね・・。いったいどういうことなのか、ちょっとずつ説明していきたいと思います・・。

以前、社会学者の山田昌弘さんが書いていたのですが、現代は「意味の危機」に陥ってる時代なんだそうです。

ネットとかが生まれる以前の、はるか昔の時代の人々って、自分たちが日常的に行っている習慣的な行為、例えば「学校で勉強すること」「会社で働くこと」「子供を産むこと」といったことに、ほとんど疑問を抱くことなく、当たり前のようにそのことに従事していたんだそうです。

社会的・文化的な行為に「深い意味」を求めることなんてなくて、強いていえば「そんなの当たり前じゃん!」といった態度で、世の中の決まり事にならっていたということです。

でも現代人は、「勉強することの意味」「働くことの意味」「子供を産むことの意味」について「なぜそれをしなくちゃいけないのか?」と深く考え込んでしまって、なかなかそのことに没入することができないそうです(このことが「学力低下」「就労率の低下」「出生率の低下」の遠因になっているというわけです・・)

古き良き昔の時代には、人々に有無をいわせず社会的営みに従事させる「伝統」「倫理・道徳」「イデオロギー」みたいな強制力が存在していたんですが、現代はそういった、皆が同じような価値を持つことができる空気感、「共同幻想」がとても希薄になってしまったということです。

現代は「ものごとの意味」がはぎ取られて、失われてしまった時代だというんですね・・。

○○系女子って流行ってるよね!

人間って基本的に「意味」や「価値」が剥奪された宙ぶらりんの状態に、とっても居心地の悪さを感じてしまう生き物なんだと思います。

最近「○○系女子」とか「○○系男子」みたいな言葉が流行ってますよね?(「ペンギン系女子」とか「犬系男子」とか、そういうやつです・・)

ああいう言葉って、自分という存在がなんだかよく分からなくなってしまったときに、「自分のキャラ」とか「社会的位置づけ」とかを、再確認させてくれる効果があるんだと思います。

自分は一体何者なのか、どういう特徴を持つ人間なのか、どの区分に属する存在なのか、人間はこういった「社会的属性」を与えてもらうと、なんだか気持ちが安心する傾向があるんですね。

学者とか評論家の人がすぐ「○○化する社会!」とか「○○の時代!」とか言いたがるのも、ある意味これと同じ心理が働いてるんだと思います。

自分が生活している社会にいったい何が起きているのか、世界はいったいどういう流れの中にあるのか、これを知らないと人はなんだか心が落ち着かない気分になってしまう。

人間にとって「自分」と「社会」を位置づける言葉が存在することって、とっても大事なことなんですね・・。

欠如の周りに象徴が結晶化する!

昔精神科医のラカンという人が言っていたのですが、「象徴的な構造」というのは、外傷的な現実、すなわち「欠如」「裂け目」「穴」といった「失われたもの」の周囲に結晶化し、構成されるというのです。

これはどういう意味かというと、人間は納得できる意味が与えられていない「物体X」のような存在を見ると、決して放ってはおけないということです。

社会に解釈不能な出来事が起きたり、とても受け入れられないような辛い体験をしたり、自分に危害が及びそうな怪しい概念が生まれたりすると、みんな必死になってそれに意味を与えようとするということです。

(ラカンによると精神病というのは、自分の受け入れがたい外傷的な体験に「象徴的な意味」が与えられないために起きる反応(=症候)であり、その心の傷が象徴化され、自己認識可能な状態になったとき、その病気の治療は終了するそうです・・)

現代は「記号的な情報」ばかりが氾濫していて、それが指し示す「意味」がとても不明瞭な時代です。

ネット炎上とは、みんなで象徴の世界にポッカリ空いた「空虚な大穴」を、SNS上で語らい合うことによって、突貫工事のように「意味」を埋め立てようとする営みなのかもしれませんね・・。

博多駅前陥没事変!

この前ツイッターで面白い指摘をしている人がいました。

先日博多駅前の道路が陥没して「大穴」が開いた事故がありましたが、あれはラカンの言っているような「象徴的裂け目」に相当するという話です。

いつも当たり前のように自分が歩いてる地面が、いきなり落とし穴のように崩れ去ってしまうなんて、たしかにとってもトラウマティックで不安な体験だと思います・・。

この「大穴」に対してネット上では、「怪我人がゼロなんて日本すごい!」「たった数日でもう復旧に取り掛かってる!」「これは世界に誇れる事故!」と、なんだか異様にホルホル気味の言葉が交わされていました。

人々はこういった言葉を交わすことによって、突然自分の足元がグラついてポッカリ空いた大穴の中に飲み込まれてしまいそうな不安を、「大丈夫!問題ない!俺たちは安心!」と象徴的な意味付けを行うことで、解消しようとしてるんだということです(この背景には、日本人の公共性や社会に対する不安の投影があると見ることができそうです)

これはなんだか面白い例え方だなと思って、感心してしまいましたね・・。

ネット炎上とは象徴的意味づけを行う祭り!

しばしばネット上では、こうした「象徴的意味付け行為」が、とても過激な形で噴出してしまうことがあると思います。

例えば以前「STAP細胞の小保方さん」や「オリンピックロゴの佐野さん」が大炎上したことがありましたが、あの背後には、「この世にはコミュ力だけで美味しい思いをしているズルい奴がいる!」という世間に蔓延するイメージ(記号)があったのだと思います。

「どこの誰だかは知らないが、世の中にはそういう人間がたくさんいる!」
「俺たちはそいつらのせいでワリを食っている!」

という記号的な認識だけが飛び交う状況の中で、まさにそのイメージに打って付けの存在が登場したということです。これは大炎上間違いなしだと思いますね・・。

また「透析患者は死ね!」と暴言を吐いて大炎上してしまった長谷川豊さんも、ある意味同じ存在なんだと思います。

最近SNS上ではネット右翼的な「排外的な表現」があちこちで飛び交うようになってきてますが、でも現実に私の周りを見ると、全然そういうことを言いそうな人って存在しないんですよね(みんな優しそうないい人ばっかなんです・・)

ネット上にはあんな大量の「過激な書き込み」があるのに、周囲には全くそういう発言をする人がいない、こういう状況の中で「リアル」にあんな発言をする人が現れたんです。みんな「やっと見つけたぞ!」と、シロアリの巣を見つけたような気分になったんじゃないでしょうか。

長谷川豊さんは大バッシングにあって、レギュラーの仕事をみんな降板する羽目になってしまったそうです。過激な発言をするネット民たちは、今まで匿名性を武器にして闇に潜伏する「ゲリラ作戦」を取っていましたが、長谷川豊さんはそのツケを一手に背負う形で支払うことになってしまったんだと思いますね。

ネットの世界では、こういう風に大量に飛び交う「浮遊する記号」を、ペタッと貼り付けできる便利な人が、常に求められているということです・・。

埋め立て作業と人柱!

ところで上記のような炎上騒動における、「外傷的な現実」「象徴的な穴」というのは、具体的にいうとどんなことを指しているんでしょうかね・・?

例えばそれは「コミュ力が全てを支配するような『超』能力主義(ハイパーメリトクラシー)の社会になりつつある」とか、「姥捨て山のように弱者を切り捨てないと成り立たない社会になりつつある」とか、そういう恐ろしい現実の可能性のことを言ってるんだと思います。

そして、小保方さんや佐野さんや長谷川さんは、その剥き出しの「恐ろしい現実」の可能性を埋め立てるために利用された、「人柱」的な存在だということができそうです。

世の人々はそういう不穏な社会が決して到来しないように、「外傷的な穴」を埋め立てようと、その周囲に象徴的なもの(言葉や概念や思想)をこぞって持ち寄ろうとします。

これが「外傷的な穴の周囲に象徴構造が結晶化される」という言葉の、意味するところなんだと思いますね・・。

プロレス化するネット社会!

以前「プロレス化する社会」というとっても面白い文献を見かけました(ググると見つかると思いますのでぜひ読んでみてください・・)

この文献によると、人々はプロレス的な「虚仮の世界」で生きる中で、突如として現れる「現実(=ガチファイト、セメントマッチ)」に直面することに、フェティッシュな悦びを感じているのだそうです。

大量に浮遊する記号(=シミュラークル)に溢れた「作り物の世界」の中で、ポッカリと空いた虫食い穴のようなどうにもならない「現実(=外傷的な穴)」に出会うことを、人は秘かに待ち望んでいるということです。

この「空虚な穴」に対して人々は議論を交わし合い、様々な言葉を費やして、一生懸命「象徴的埋め立て」を行おうとするんですね(その様子はまるでアリンコの群れの中に砂糖の粒を落としたような光景です。群がるアリンコが記号で砂糖が穴です。)

「ネット炎上」というのがこれだけ過激になってしまうことの背景には、世界に飛び交う処理しきれないほどの「意味を失った記号」に埋没してしまって、意味を見失い、生の実感を喪失し、孤立してしまった人々の、「リアル」なものへの期待と不安が入り混じった欲望が垣間見える気がしますね・・。

人々はみんなで「外傷的な穴」を共有しあい、それを修繕する営みの中に「共同性」の復活の可能性を見てるのかもしれません。昔から共同体の連帯は傷ついたもの同士、同じ敵を持つもの同士の間で生まれるって、言われていますもんね。

豊かな象徴的秩序を作り出すためには、人々が安心して依拠できる共同体が必要なんだと思います。そして現代は古い共同性が解体して、新しい形に生まれ変わりつつある時代なんですね・・。

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