24時間テレビは感動ポルノなの!?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

kandopornphoto by Dick Thomas Johnson

先日、日テレで「24時間テレビ」がやってましたが、みなさんはご覧になりましたでしょうか!?

すっかり夏の恒例行事と化してるこの24時間テレビですが(私が生まれる前からずっとやってるみたいです・・)、実はこの放送時にネット上で「あること」についてプチ炎上が発生していました。

「NHKが24時間テレビにケンカを売っている!」と話題になっていたのです・・。

NHK「24時間テレビは感動ポルノ!」

NHKの番組では、障害者を見世物にするような昨今のメディアの風潮を「感動ポルノである!」と非難していました。

オーストラリアのジャーナリストの「ステラ・ヤング」さんの言葉を引用しつつ

「テレビはステレオタイプな障害者像を作り上げてる!」
「感動を押し付けているだけ!」
「こんな企画が障害者のためになるのか!」

と手厳しい意見を突き付けたのです。

番組内では、人々に対して「障害者の感動的な番組をどう思っているか?」というアンケートを取り、

健常者の回答「好き:45%、嫌い:55%」
障害者の回答「好き:10%、嫌い:90%」

という結果になったことを公表しています。

どうやら障害者の人たち自身も、テレビとかでやっているような「障害者感動スペクタクル!」みたいな番組を、なんだか苦々しく思っている傾向があるみたいですね・・。

最近「○○ポルノ」ってよく聞くよね!

最近こういう「○○ポルノ!」といった表現をよく聞く気がしますが、どうでしょうか?

例えば、漫画家の小林よしのりさんが世間にあふれている「日本スゴイ!」みたいな自画自賛本のことを「愛国ポルノである!」と批判していました。

また、SNSで美味しそうなご飯の写真を投稿する行為は「フード・ポルノ」(通称飯テロ)と呼ばれて、人々から恐れられています。

またイギリスでは、貧困者の生活を描くドキュメンタリー番組を放映したところ、「貧困者を見世物にしている!」「貧困ポルノである!」と炎上した事件もあったそうです(なんだかこの前の「貧困JK炎上騒動」を彷彿とさせますね・・)

こういう「○○ポルノ!」という言葉が氾濫する背景には、いったいどういうことがあるんでしょうかね・・?

情動マーケティングにうんざり!

この前もブログに書きましたが、最近のメディアでは人々の感情を揺さぶって行動をコントロールしようとする「情動マーケティング」が流行っています。

広告代理店やまとめサイトの運営者は、とにかく大衆を怒らせたり大喜びさせたりするような情報を発信して、モノを買わせたり、サイトのアクセスを集めようと腐心しているのです。

おそらくある時期から企業のマーケッターたちは、製品やサービスの良さをアピールする「理性訴求」な方法よりも、とにかく人の感情を逆なでし煽りたてるような「感情訴求」の方法の方が、お金が儲かることに気付いてしまったんでしょうね・・。

人々は、世に氾濫するなんだか大げさで煽情的な情報に浴びるように触れ続けて、感情的に疲れ切った「感情摩耗」の状態になってしまっている可能性があると思います・・。

メディアを通じて発信される「感情に働きかけ自分をコントロールしようとする圧力」、こういったものに抵抗感を持つ人々が「○○ポルノ」と蔑称を使って、煩わしいものを自分たちから遠ざけようとしているのではないでしょうか。

24時間テレビも、あんまし感情を掻き立てるようなエモーショナルな演出をやり過ぎないように気を付けた方がいいかもしれませんね(SNSでも「24時間テレビは感動押し売り!」みたいにディスってる意見を多く見かけました・・)

アンチリベラルの台頭!

24時間テレビが顰蹙を買ってしまう原因、それは世間の「アンチ・リベラル」な気運が高まってきていることとも関係がありそうです。

24時間テレビといえば「人権尊重!弱者保護!男女平等!」的なことをうたう「リベラルの象徴」のような番組です。

最近こういう「学校の道徳の授業」みたいな優等生的リベラルマインドを嫌う人が、だんだん増えてきてる気がするんですよね・・。

EUやアメリカといった世界の国々を見ても、リベラルの理念が人々から顰蹙を買って、しだいにそっぽを向かれていくトレンドが見て取れます・・。

日本も例外ではなく、民主党(今は民進党でしたっけ?)みたいな「左翼的リベラル」を旗印にする政党がずっとボロ負けを続けている構図があります。

人々はもう理想主義的なリベラルの理念を掲げていては、世界の競争に勝ち残っていけないと思い始めているのかもしれません。

こういった「左翼的リベラルの理念への反対票」が、ある種の24時間テレビへの反感の原動力になっている可能性はありそうだと思います。

もしこれがほんとだとしたら、障害者や女性や貧困者といったマイノリティの人々にとっては、なんだか肩身が狭い時代になってしまいそうですね・・。

私も世間の人々にバリバリ働いているところをアピールをしないとノアの箱舟に乗せてもらえない気がしてきたので、これからも世のため人のため一生懸命頑張りたいと思っている所存です!(自己PR)

過剰包摂社会のつらみ!

この前ジョック・ヤングという人のことを調べていて「過剰包摂社会」という言葉を知りました。

この言葉を端的に説明すると、近代以前に社会から排除されていたマイノリティの人々は、近代になって社会に包摂され、同じ仲間として暮らせるようになりました。しかしそれは仮の姿で、極めて見えにくい形で、未だにある種の排除の構図が続いているという内容です。

例えば以前紹介した貧困JKを例にあげると、彼女はなんとか暮らしていけるくらいの収入はあるのですが、相対的な貧困状態に苦しんでいると訴えかけていました(そしてテレビでそれを言った結果フルボッコに炎上して大顰蹙をかってしまいました・・)

こういった曖昧で微妙なラインの「排除」の構図が、この社会の中では息づいているということなんですね(「単なる我がままだろ!」と言えばそれまでのことですが・・)

今回の24時間テレビに登場するような障害者の人たちも、もしかしたら同じようなつらみを抱えているのかもしれません。

社会福祉や年金でなんとか生活していくことはできますが、しかし障害者として世間から白い目で見られたり、逆に24時間テレビのようなメディアで神輿に担ぎ上げられてすっかり浮き上がってしまったり、いろいろアイデンティティの持ちどころに悩んでいるのではないかと思います(「単なる我がままだろ!」と言えばそれまでのことですが・・)

今回NHKは「日テレと24時間テレビ」に対して「この過剰包摂の時代に障害者をどのように報道するべきなのか」と疑問を投げかけ、ある種の挑戦状を叩きつけたのだと思いますね・・。

まとめ!

以上、「24時間テレビプチ炎上事件!」についていろいろ考察を書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?

NHKが叩きつけた挑戦状に今後日テレがどういうアンサーを提出するのか、なかなか興味深いところですね~。

個人的な感想なのですが、24時間テレビは今までずっと同じポリシーで、同じような放送を続けてきたと思います(私が子どもの頃からずっとあんな感じのノリでしたから・・)

それに対して今回不満が噴出したということは、どこかの段階で我々自身のマインドが変わってしまったことを意味するのだと思います。

24時間テレビが今後どういう方向に進むのかも気になりますが、それと同じくらい、いったい我々がどう変わってしまったのか、そしてこれから世の中をどういう方向に持っていこうとしてるのか、この点が非常に興味深いところだと思います。

私はできればあんまし苦しくなくて、みんながハッピーになれる世界になってほしいと思ってるのですがどうでしょう、そんな世の中になりそうですかね・・(´・ω・`)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。