二分間憎悪の心理学!

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2minphoto by Nova

この前「二分間憎悪」という面白い言葉を知りました。

二分間憎悪というのはジョージ・オーウェルの小説「1984年」に出てくる概念です。

この小説に出てくる独裁国家の国民たちは、毎日所定のホールに集まって、でっかいスクリーンに映し出された国家の裏切り者に向かって、みんなでありったけの罵詈雑言を投げかけ、憎悪を表明するそうです。

そして、最後にスクリーン上に党首の「ビッグブラザー」が登場して、みんなで「ワーッ!」拍手喝采を送り礼賛する。

国民たちは毎日「二分間」この行事を行う義務が課せられているそうな。

これが「二分間憎悪」です。

なんだかものすごい行事ですね・・。いったいこの行為はどんな意味があるんでしょうか?

これをちょっと考えてみましょう・・。

「内集団バイアス」

その昔、社会学者サムナーという人が「内集団」と「外集団」という概念をつくりました。

内集団とは自分が所属してる集団のことで、外集団とは自分が所属していないよその集団のことです。

サムナーは、人間は内集団に対しては「肯定的・好意的」な印象を持ちやすく、外集団に対しては「否定的・敵対的」な印象を持ちやすい傾向があると述べています。

有名な「内集団バイアス」というやつですね。

そして、内集団のメンバーに向かって外集団に対する敵対心を煽れば煽るほど、内集団への帰属意識・忠誠心が高まり、仲間同士の団結が強くなるといわれています。

身近な例でいうと、例えば学校のお友達同士で集まって、先生や気に入らない子たちの悪口をいって互いの親密感を高めるとか、そういったことだと思います(なんだかしょぼい例えですね・・)

「二分間憎悪」は基本的にこの原理原則にのっとって、支配者が民衆の心をコントロールしようとする営みなのだと思います。

昔から、政敵への敵がい心を煽り立てて人々の不満の矛先をよそに向けるのは、政治家が使う常套テクニックですもんね・・。

「衆人に訴える論証」と「同調現象」

人間は、ある考えについて自分の周りの人々が支持を表明しているとき、それを「正しい」と思い込んでしまう傾向があるそうです。

この傾向を利用して「他のみんなは賛成してますよ?」と相手を説得しようとする言葉のことを「衆人に訴える論証」と言います。

また、似たような言葉に「同調現象」というのもあります。

同じ行動・同じ主張をしている集団の中にいると、自分もその行動・主張に染まってしまう(同調してしまう)という現象です。

同調現象が起きている空間では、同調の圧力が強くてとても反対意見を述べられる雰囲気になく、集団内の意見が一様になってしまう「斉一性の原理」や、集団のメンバー内で行動や主張が過激化していく「集団極性化」が起きやすいそうです。

「二分間憎悪」の空間ではこの「衆人に訴える論証」や「同調現象」の仕組みが働いていそうですね。

この小説の中では、政敵への敵がい心一色に染まった広場の中で、興奮状態になってスクリーンに躍りかかったり、モノを投げつける人間まで出てくる描写があるそうです。

この熱狂的な空間の中で人々は「悪の化身である政敵」と「善なる我々」という、友敵二項図式に染まり切ってしまうというわけです・・。

「幻想の他者と悪魔化」

社会に鬱々とした不全感が蔓延すると、人々は自分たちのネガティブな気持ちを投影するための「幻想の他者」を作り出す傾向があるそうです。

この「幻想の他者」に皆で敵意を向けて糾弾することで、人々は精神的充足感を得て、自らの傷ついたアイデンティティを回復するそうです。

社会学者ジョック・ヤングは、この一連の行為を「悪魔化」と呼びました。

「二分間憎悪」は、裏切りものの政敵を「悪魔化」して皆で集中砲火を浴びせることで、カタルシスを得る集団行為だといえそうですね。

政治家がこのような方法で人々を扇動する方法を「ネーム・コーリング」などと言うそうです。

国民の怒りの矛先となる悪の対象をしたてあげ、その攻撃のエネルギーが反政府的な運動に向かわないように巧みに心理操作する。

この独裁国家の統治者は、実に民衆の心がよく分かっていますね・・。

「カタルシス効果」

精神科医のフロイトとブロイアーは、ヒステリー患者の治療の際に、患者が心の内に抑圧しているネガティブな記憶や感情を表出することで、症状が改善されることを発見しました。

二人はこの効果を「カタルシス効果」と名付けました。

「二分間憎悪」の空間でもこの「カタルシス効果」が働いていそうです。

政府の圧政に苦しんで鬱積感や欲求不満感を鬱々と溜め込んだ人々が、皆と一緒にヘイトスピーチのごとく「憤怒」を表出させることで、心の澱のような感情を発散して浄化させている。

この行為にはいわゆる「感情的ガス抜き」ともいえる効果があるといえそうです。

しかし、この「カタルシス」にはちょっと罠があります。

たしかに激しい感情を表出させることには、一時的に気分を楽にする「対症療法的」な効果はあるかもしれませんが、重要なのは自分の認知や思考・信念に組み換えが起きること、そして自分の取り巻く環境に変革がもたらされることです(「認知行動療法」の理論とかでこういうことがよく説明されていますよね)

「二分間憎悪」の空間にいる人々の本当の怒りの対象は、圧政を敷いている独裁者であり、変革を起こさなくてはいけないのは、現状の閉塞的な社会システムのはずです。

ここに意識が向かわないと、この行為は本当の意味でただの「ガス抜き」に終わってしまうと思います。

自分が本当に腹が立ってる対象は一体どこの何者なのか、これを突き止めるのは大事なことなんですね・・。

まとめ

以上「二分間憎悪」に関連しそうな概念を、思いつく限りいろいろ紹介してみました。

お察しの通り、「二分間憎悪」とは一言でいうと「政府のプロパガンダ活動」のことなんですね。

あの悪名高いヒットラーは、ナチスのプロパガンダ活動について「大衆の感情に訴えかける要素は最大に!大衆の知性に訴えかける要素は最小限にすべし!」などと述べていたそうです。

感情が高ぶって理性を失いかけている人間は、心理操作による扇動の恰好の餌食となってしまうわけですね。

イライラするニュースが多い昨今の時代ですが、みなさんあんまし感情をかき乱されないように注意しましょうね・・。

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コメント

  1. rice より:

    面白かったです。

  2. 疲労コンパイラ より:

    自身の考え方や振る舞いを見直せる、素晴らしい記事でした。
    監視社会やサイバーパンク系の、ディストピアな世界観の作品が好きなため、1984も読んでいるのですが、バイアスやプロパガンダについて良く表せている作品だなと思います。

    内集団バイアスは、リベラルと右翼の論争の中でも根っこにある部分だなと常々悩んでいるのですが、改めて分かりやすく纏められた記事を読むと、頭が整理されて理解が進みました。

    論証、同調現象、悪魔化等、初耳な言葉ばかりだったので、読み進めるのが楽しく非常に勉強になりました。

    感情の昂っている時は、心理操作の影響を受けやすいという言葉を見て、なるほど私も心理操作の影響を少なからず受けていたなと少し冷静になれました。

    改めて非常に為になる記事をありがとうございます。

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