photo by smerikal
みなさん知っていますでしょうか!?
最近様々なwebサービス上で「差別的発言」を規制する動きが盛んに起きているんです!
2016年の5月ごろ「Facebook・Google・Twitter・Microsoft」の各社は「ヘイトスピーチの排除」を目指す取り決めに合意して、ネット上の「差別的・排外的・中傷的」な表現を24時間以内に削除できるよう、特別対策チームを作って対応をしているんだそうです!
たしかに私の実感としても、ここ数年ネットをしているとなんだか「ウッ」っと顔をしかめたくなるようなヘイトな表現が、たくさん見受けられるようになりました・・。
昔の2chなんかでも、過激な表現はバンバンと発言されていましたが、あの頃のネットにはどこか「これは単なるブラックジョークなんだよ!」という、冗談めいたメタな視点があった気がします。
しかし最近のネットの発言はなんだか真に迫った殺気がこもっていて、言葉としては同じものでもなんだか「ガチ」に聞こえてしまうことが多いんですよね・・。
これこそが世にいう「ネタがベタになる」という現象なんでしょうかね・・。
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以前ジャーナリストの神保哲生さんがこういう話をしていました。
神保さんは、フィリピンのドゥテルテ大統領の「過激な発言」を特集したニュース動画を、フェイスブック上で広告しようとしたそうです。
しかし、ドゥテルテ大統領の発言があまりに過激すぎて「ワード規制」にかかってしまったためか、その広告はフェイスブック側から出稿することを許可してもらえなかったそうな。
神保さんの動画は、どちらかというとドゥテルテ大統領の発言に対して批判的なものだったそうなのですが、そんな動画さえもフェイスブックは規制の対象にしてしまうようです。
実は、同じような経験は私にもあります。
以前、あの世間を騒がせている「ツイッターレディース」についてのブログ記事を書いたのですが、その記事がいつまでたってもグーグル検索に載らずに、全くアクセスが来ないことがありました(いつもだったら数時間後には検索に載るんですけどもね・・)
私の記事はかなり公平・中立な立場を意識して書いたつもりだったんですけども、グーグルボットから見ると差別的ワードが散りばめられた「危険な」記事に見えたのかもれません(なんだか下ネタっぽい言葉も含まれていましたしね・・)
グーグルやフェイスブックをはじめとした大手web企業たちは、ネット上の「ヘイト表現」のみならず「ヘイト問題」そのものに言及する言葉までも規制する、なんだかじゅうたん爆撃にも似た前のめりの対応をしているように見えます。
これらの対応を見ていると、アメリカのIT企業家の人たちの「なんとしてでもネット界からヘイト表現を駆逐してやるぞ!」という不退転の決意のようなものを感じさせられますね・・。
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私が個人的に考えるヘイト表現への理想的な対応って、以下のような感じのものなんです。
ネットでヘイトな書き込みがあったときに、みんなでそれを参照して「差別的な発言だね」「こういうことを言ってはいけないね」と言い及んで、みんなその発言の悪さを再認識しあうんです(子どもたちなんかにも教えてあげるといいと思います)
そして「いや!これは正当な主張である!」と発言する人がいたら、その人とオープンな場所で討議しあうんです。
ずいぶん激しい討議になりそうですが、話し合っていくうちに、互いの考えが変わったり、別の角度からの観点が浮かび上がったりして、双方にとって何かちょうど良い「折り合いの地点」が見つかるかもしれません。
こんな風に対話を通じてお互いちょっとずつマシな意見に進歩していくことが、なんだか理想的な展開です。
しかしこんな「都合のいい話」がもはや通じなくなったときに、昨今取られているような「ヘイト発言」自体を規制してなくそうとする動きが現れるんだと思います。
「ヘイト発言を規制する」というのは、もはや話し合いが通じなくなった果てに登場する「交渉決裂の表明」であり「最後通牒」だということなんですね・・。
意見が異なるもの同士が、対話を通じて理解しあうことなんて、とうてい人間にはできなかった。ヘイト発言の規制は「人間の理性」を信じていたリベラルな人たちにとっての、ある種のあきらめの白旗なんだと思います。
アメリカのIT長者の人たちは、どちらかというとリベラルな理念を持っている人が多いんじゃないかと思いますが、彼らも泣く泣くの思いで「ヘイト発言」の規制に乗り出したんじゃないでしょうか。
結局ネットというのは、人間の理性的な話し合いによって相互理解が生み出される空間には、ならなかったということなんですね。長いようで短かったネットの歴史に、なんだかこれで一つの区切りがついたような気がします・・。
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私が最近よくウォッチしている社会学者の宮台真司さんが、哲学者ラカンの理論を引用して、こういうことを言っていました。
人間を「言葉」だけで説得しても、本当の意味で説得したことにはならない。言葉だけで相手を言いくるめても、いつか押し込められた感情が噴出して、激しい「反動」が生じることになる。
また私が最近よくウォッチしている哲学者のスラヴォイ・ジジェクも、ラカンの理論を引用してこういうことを言っていました。
言表化に失敗して無意識に抑圧された暗い感情は、いつか暴力的・破壊的な症状(アクティングアウト)として現実に回帰する。多くの暴動の根底にあるものは、こういった「抑圧されたものの回帰」の構造である。
人間を「理屈」だけで頭ごなしに封じ込めても、当人の「感情」が納得しない限りは、本当の解決にはならないということなんだと思いますね。
ヘイト表現を規制する措置というのも、あくまでも「応急措置」や「対症療法」の類であって、平行してちゃんとその背後に存在する「本当の問題」の方にメスを入れる作業も、しなくてはいけないということなんですね。
これを怠ると日本にも「トランプ大統領誕生!」のような、ハードな症状が現れてしまうかもしれませんから、注意しなくてはいけません・・。
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ネットに広がる「ヘイトな表現」というのは、社会に底に溜まった暗い澱のような感情がプスプスと噴出する「ガス漏れ現象」であると考えることができそうです。
そして「ヘイト表現の規制」によりガス漏れ口に蓋がされたことによって、「不満の圧力釜」の内圧はこれからものすごい勢いで急上昇していくことと思います。
大爆発へのカウントダウンは確実に早まったので、これからは早急に「本当の問題」の方に手当てをしなくてはいけません。
時限爆弾が着火してお尻に火をつけられた形になった世界の国々が、危機感を持って構造的な問題にメスを入れ始めることを期待したいですね・・。