photo by Hands Optek
今回のテーマと全く関係がないハリネズミちゃんの画像を用意いたしましたが、どうでしょうか、ハリネズミちゃん、可愛いですよね・・。
さて本題に入りますが、最近私がなんとなく感じてることなんですが、世の中になんだか「現実指向」なノリが強くなってきてる気がするのです。
「抽象的なもの」よりも、「現実的なもの」を優先するような、そんな雰囲気です。
具体的にいうと「心よりは身体」「感情よりは論理」「精神性よりは物質性」みたいな感じです(言ってる意味わかりますかね・・?)
みなさんはそんな感覚、ありませんでしょうか・・?
目次
外見至上主義社会!
以前オタク評論家の岡田斗司夫さんという方が「外見至上主義社会」という話をしていました。
人々の間で、「内面」よりも「顔」や「服装」や「喋り方」を重視する、とにかく目に見える「外見」で物事を判断しようとする傾向が高まっているという話です。
例えば、政治家は「主張」そのものよりも「ルックス」とか「発言の仕方」とか「キャラの良さ」で選ばれるようになり、会社の採用でも、わりと良い大学を出ていて、小奇麗なかっこをしていて、応答の声もちゃんとしている人物が選ばれるようになる。
その人の持っている「内面」へ目を向けることはほどほどにして、とにかく外観が「パッと見でいい感じかどうか」ということに注目する。
今の時代ではなぜかではこういう、「可視化されたもの」「身体に現れたもの」「アイコン的なもの」で物事を判断する傾向が高まっているということなんですね。
岡田斗司夫さんは「外見至上主義社会」に適応するべく、大幅なダイエットに成功してスリムな身体を手に入れたそうです(今ではリバウンドしてしまったそうですが・・)。
物語よりも設定重視!
以前美術家の藤幡正樹さんという方が話していましたが、日本の美術業界はやたらと「上手な絵」「綺麗な絵」「技巧を凝らした絵」を価値があるものだとみなす傾向が強いそうです。
その作品の背景にあるものよりも、むしろ表層の美しさ、豪華さを競う合うような風潮。これは、絵を評価することが「どっちが技術が高いかの腕比べ」のような状況に陥ってしまっていることを表しているのだと思います。
話は変わりますが、私は最近 Hunter × Hunter の感想スレを見ていて思ったのですが(急に話のレベルが低下してすいません・・)、みんなよってたかって「伏線が回収されてるか」「設定に破綻がないか」「コマ割・絵が上手いか」といったギミックにばかり語りあって、この物語は何を意味しているのか、富樫さんはみんなに何を訴えようとしてるのか、ということを全然話し合ってないのが、なんだか気になりました・・。
みんな表層に現れているギミックには一生懸命着目するのですが、その背後にあるはずの物語をあえて語らず、頑なに目を逸らそうとしているような、そんな印象を受けましました。
一体なんなんでしょうかね、この感じ・・?
ルールに頼ってしまう職場!
私が会社で働いてたときの話なんですが、ある製品の開発でやたらと遅れが多発していて、みんなで相談しあったことがあるんですよね。
みんなは
「コードが煩雑で開発のスピードがダウンしているのでは?」とか、
「チェック工程が甘くて出戻りが多くなっているのでは?」とか、
「決めごとが書類として残っていない習慣がよくないのだ!」とか、
といろんな発言をしていました。
たしかに皆の言っていることはそれぞれ一理あるのですが、でも、一番の核心部分に触れないまま相談が終わってしまった気がします。
それは、その機能の担当の人たち(特にある二人)の仲がめちゃくちゃ良くないということなのです・・。
私から見ると、その二人が険悪なせいで仕事に齟齬が生じているのが問題の急所な気がするのですが、みんなそこにはノータッチでした。
みんなも薄々その核心部分に気付いていたとは思うのですが、無意識的に(あるいは意識的に)そのことを無視しながら、延々と処方箋を練っている感じでした。
ビジネスの場面ではどうしても、人間関係とか心の問題にはメスを入れずに、「ルール」とか「仕組み」の整備によって、解決を図ろうとしてしまう習性がある気がしますね・・。
しかしこれは中々難しい問題です・・。なぜなら私もその場にいながらにして、人間関係の問題について言及できずに、なんとなくみんなのノリに同調してしましたからね。
「なんかあの二人超仲悪いんスけど、なんとかなりませんかね・・?」
みたいなことを言い出せない空気が、そこにはありました・・。
発達障害というラベル!
最近学校で問題を起こす児童が増えてるそうです。
問題を起こす子どもを「もしかして発達障害なのでは?」と親や先生たちが心配して、クリニックに連れてくるケースがたくさんあるそうです。
テレビとかでよく発達障害の子どもが増えているというニュースをよく耳にしますが、この問題が事実かどうか正確に判断するのは、なかなかに難しいようです。
なんらかの環境要因によって、実際に発達障害の子どもが増えているという見方もできますが、一方、大人たちがやたらと「発達障害」を気にして、盛んにクリニックを受診するようになったことも、統計に大きく影響しているそうです。
この傾向をちょっといじわるに邪推すると、なんだか大人たちが責任逃れのために、発達障害を利用しているようにも見えてしまいますね・・。
「学校の環境」や「家族関係」といった社会関係に原因があるのではなくて、「発達障害」という子どもの身体に原因を求めようとしている。
本人の脳や身体機能に問題の本質があるのだとしたら、自分の責任はだいぶ軽くなる気がしますものね・・。
安倍さん人気!
安倍さんが総理大臣になって以来、ずっと高い支持率を維持し続けています。
シールズや民主党(今は民進党ですね)の人々が一生懸命切り崩しを図っていますが、全くのノーダメージで次回の選挙も圧勝のオーラを感じさせています。
私の思う安倍さんの人気の秘訣は「経済重視」「現実路線」「やや右寄り」「キャラ立ち」といった要素にあると思います。
人々が望んでいるのは、まず第一に落ち目の日本経済を立て直すこと、そのために強烈なリーダシップを奮って、物事をグイグイ推し進めていく、エネルギッシュな人を求めているのだと思います(これは橋下さん人気とかホリエモン人気にも通じるところがある気がします)
最近、日本だけではなくて世界中でも、こういった雰囲気のリーダーが支持を集めてる気がします。
グローバル化によってこれから世界各国とぶん殴り合いの「バトルロワイヤル」が始まる時代、人々はお花を愛でるようなイマジナリー(想像的)な精神よりも、智謀知略を巡らしてしたたかに相手と戦っていく、リアル(現実的)路線なリーダーを求めているのでしょうね。
私はなんだかこういうのは恐いので、ひっそりと引きこもって人々のことを草葉の陰から応援したいと思います・・。
みんな頑張ってくださいね・・(´・ω・`)
現実指向への反動!
ちょっと言い訳っぽく書いておきますが、こういう風潮には当然反動(バックラッシュ)があると思います。
例えば、モノばかりに拘る気持ちを捨て去るために「断捨離」というのが流行ったり、競争競争でギスギスしている世の中の息苦しさを和らげるために「ゆるキャラ」みたいなのが流行ったりもしているのだと思います。
私の会社でも「メンタルヘルス講座」みたいなものを開催していましたし、私のいるオフィスには、占いやスピリチュアル系のカウンセリングといった怪しい?仕事をしている人たちもけっこういます。
やたら現実主義的・実利主義的な風潮に覆われていて、なんだか心がカサカサになってしまいそうな世の中に対して、こういった想像的なサブカル娯楽が栄養を与えてくれているのだと思いますね。
何事もバランスが大事ですよね、バランスが。
なぜ「現実指向」が流行ってるのか!?
さていろんな事例を提示してきましたが、なんとなく私が感じている雰囲気を分かっていただけましたでしょうか?
物事の外観だけをサッと見渡して、あまり内に秘めることには踏み込まずに判断をすませたり、人間に頼るよりかはどちらかというのモノとかルールの方に信頼を寄せるような態度。
こういった風潮の大元にあるものはいったいなんなのでしょうか?
いろいろ考えてみたのですが、そこには「消極的な現実指向」と「積極的な現実指向」の2つの切り口がある気がしました。
消極的な現実指向!
やさしさ指向の人々!
最近の人々は「やさしさ指向」であるという指摘があります。
お互いに競争しあうことや、感情的に衝突しあうことをなるべくさけて、相手の気持ちを慮りながら、ゆるゆるとした距離感でお付き合いする人が増えてるんですね。
これは裏返すと「心が傷つきやすい人」が増えてることも意味してると思います。
よく昔から「女性に年齢を尋ねるのはNG!」と言われていますが、最近は「男性に職業を尋ねるのもNG!」だそうです。
もしこんなことを尋ねて「あの・・自分無職ッス・・」みたいな答えが返ってきたら、なんだか気まずい雰囲気になってしまいますもんね・・。
一億総アイデンティティ・クライシスに陥ってるような昨今の時代、どんな言葉が地雷を踏んで相手を傷つけてしまうか分かりません。
お互いなるべく本質を鋭く突っ込むような対話は避けて、ゆるゆるとした関係で付き合うのが、上手くやっていくためのコツです。
精神科医の斎藤環さんは、こういったゆるふわな会話のことを「毛づくろい的コミュニケーション」と表現していました。
本質を避ける対話テクニック!
斎藤環さんによると、「オタク気質」の人は自分の内面を開示するような「情緒的な対話」がとても苦手だそうです。
オタクの人はとてもシャイなので、自分の気持ちをさらけ出すことによって、相手に否定されたり傷ついたりするのを、不安に感じているんだと思いますね。
こういう人たちにとっては、趣味的な「モノ」について語り合うコミュニケーション方法が、心地が良いのだそうです。
自分の好きなアニメについて語ったり、好きなアイドルについて語ったり、共通の「モノ」について語りつつ、その中で「チラッ」とさりげなく自己表現をするような、そういう対話の仕方をするんですね。
「人」について語らずにやたらと「モノ」に言い及んだり、「心の問題」を避けて「身体性」に問題を帰属したがるような考え方は、もしかしたらこれと似ているところがあるのかもしれません。
本質的な物事を避けたり、情緒的なぶつかり合いを避けたりする態度、これはある種の「傷つきやすい人たち」のコミュニケーション方法なのかもしれません。
積極的な現実指向!
決断主義の時代!
以前評論家の宇野常寛さんという方が話していましたが、現代は「決断主義」の時代だそうです。
80~90年代くらいは、自分の拠るべき価値観を見失ってしまった人々が、抑うつ的に引きこもっていた時代だそうです。
しかしゼロ年代以降は「たとえ価値観を見失ってもとにかく行動!」です。しょんぼり引きこもっているようではそのまま干からびて死んでしまうので、自分の拠るべき物語を自ら「決断」して選び取っていく時代になったということです。
これは私の憶測なのですが、おそらく今まで考えを留保して沈黙していた人々が、突然決断に迫られて選び取る物語というのは、「現実的」で「機能的」で「実利的」なものが多いのではないでしょうか。
子どもの「将来なりたい職業ランキング!」とかを見ると、スポーツ選手とかアイドルとかお医者さんとかが多いですよね。やっぱり身体性とかモノとかお金って、本能に訴えかけるような強烈な誘引力があるのだと思います。
溺れる者はワラをも掴むといいますし、厳しく切羽詰まった時代であるほど、こういう傾向は強くなるのではないでしょうか。
私がいた会社でもある時期から何かを決意したらしくて、「ムダをなくせ!」「効率化!」「合理化!」と呪文のように唱えながら、壁一面にビッチリと説教じみたポスターが貼られるようになったことがありました。
あのポスターはなんだか会社の雰囲気が悪くなるだけなので、はやく剥がしたほうがいいと思うのですが、まだ貼っているのでしょうかね・・?
保守主義が世界で大流行!
その昔、政治学者のカール・シュミットという人が、宇野常寛さんと同じ「決断主義」という言葉を使っていました(宇野さんが使っている意味とはだいぶ違いますが)
カール・シュミットは、世の人々が甘っちょろいリベラリズムやヒューマニズムに陥っていては、「決められない政治」によって社会が機能しなくなるという、厳しい思想を説いた人です。
最近世界の先進各国が「保守化」しているという話がありますよね。以前ブログに書きましたが、昨今の厳しい時代において「リベラル」の理念は、ある種の行き詰まりの様相を呈しているのだと思います。
人々は「決断主義」によって古いリベラルを捨て去って、新たな「保守主義」を自分たちの物語として選びつつあるのかもしれません。
保守主義は「身体性や事実性」と親和性が高い思想です。リベラル特有の「理想主義的なもの」「想像的なもの」「抽象的なもの」といった、歯切れの悪い、あやふやで、お花畑的なものはなんだか嫌われてしまう。そんな風潮が人々の間で高まっているのかもしれません。
シールズの人が「敵国が攻めてきても一緒に酒でも飲んで説得しますよ!」と言って炎上していたことがありますが、そんな平和ボケた発言は許されない世の中になってきているのです。
まとめ!
以上、延々と現実指向な考え方の悪口を書いてしまった気がしますが、いかがでしたでしょうか?(怒ってしまった人がいたらすいません・・)
現実指向の考え方をする人々が増えているのは、あるいは「情緒的な対話から逃げるための方便」であったり、あるいは「来るべき厳しい時代に備えるための強腰の姿勢」であったりするというお話でした。
ちょっぴり弁解っぽく書いておきますが、基本的に「現実的」であったり「理想的」であったりすること自体に、あまり良さ・悪さというのはないと思うんですよね。
思慮深い考えに基づいた言葉や行動は、「現実的」であっても「理想的」であっても、含蓄があってとっても良いものだと思います。
「文系・理系」とか「男性・女性」とか「保守・リベラル」とか、いろんな対立の構図があると思いますが、ようはその考えを使う人によりけり、ということなんだと思いますよね。
現実指向な考え方は、私の目からみると最近ちょっとスランプ気味でいろいろ不発弾を打ってしまっている気がしていますが、この考えを良きものにできるかどうかは、そう、あなた次第です m9(`・ω・´)ビシッ
※P.S
この記事になんだか関連が深そうな言葉を見つけたので貼り付けておきますね。
「社会のアスペルガー化」っていって、今の時代は、情緒的なものを無視した薄っぺらい合理性とか、物事を字義通りに捉えすぎるマニュアル的な認知とか、あたかも何かが欠落したような、違和感のある「正しさ」が蔓延する時代なんだって。
— も (@2ab7) 2016年6月20日
最近、精神医学界などで「アスペルガー化する社会」「発達障害化する社会」といったことがよく指摘されるらしいです。これは日本だけでなく世界中で見られる傾向だそうです。