photo by K.Hurley
最近またモヤモヤと考えてしまってることがあるんですけど、ちょっと聞いてもらえますでしょうか・・?
よく電車とかでおじさんが「チッ!」って舌打ちとかをしてるのを見ることがあるんですけど、あれってめっちゃ感じわるいですよね・・。
私はおじさんに舌打ちとかをされると、なんだか ショボーン (´・ω・)としてしまって「なんで怒られてしまったんだろうか・・?」「なんかわるいことをしてしまったんだろうか・・?」とグルグルと考えまくってしまったりします・・。
人はなぜ舌打ちをするんでしょうか?舌打ちとはいったいなんなのでしょうか?
今回は「舌打ちの謎」についていろいろ考えてみました・・。
各国の舌打ち事情について!
舌打ちになんだか悪いイメージがあるのって、実は日本独特の文化みたいなんです。
例えばフランスなどでは、会話のアクセントとして普通に舌打ちが使われていて、みんなしょっちゅう「チッ!」という吸着音を発するそうです。
フランス語を勉強し始めた日本人はフランス人がよく舌打ちをするので、「もしかして相手を怒らせてしまったのでは?」とビビッてしまうことがよくあるそうな・・。
また、中国などでは舌打ちは「感謝・感激」を表す表現として、比較的ポジティブなイメージなんかもあるそうです。
日本では当たり前の表現でも、海外だと全然意味が違ったりするんですよね。海外に行くときは、なんだか悪いことをしてしまって外人に怒られないように、その国の文化をよく調べて行ったほうがよさそうですね・・。
舌打ちの起源について!
「舌打ちの起源」についていろいろ文献を調べてみたんですが、あんまし資料が見つかりませんでした(こんなくだらないことに興味を持つ人って、世の中にあんましいないみたいですね・・)
以下に、ネットで見つけた数少ない「舌打ちの起源」についての仮説を、私の妄想を織り交ぜながらご紹介しましょう・・。
・赤ちゃん起源説!
赤ちゃんの中にはしばしば、お腹が空いたときやオムツを変えてもらいたいときなんかに、「舌打ち」をして不満を表現したりする子がいるそうです。
こういった赤ちゃんの頃にしていた不快感を表明するための「舌打ち」が、大人になっても習慣的に使われているのではないか、という仮説があるそうです・・。
・チック起源説!
「チック」といって、身体が自律的にムズムズと動き出してしまう神経症的な病気があります(爪噛み・咳払い・貧乏ゆすりといったいろんな動作があります)
「舌打ち」なんかも代表的なチックの症状のうちの一つで、チックは生活のストレスがたまってくると、だんだんひどくなってきてしまう傾向があるそうです
こういったストレス反応としての「チック」の動作が人々の間で模倣されて、不快感を表すための言語表現として広がったのではないか、というのが私が考えたオリジナル仮説です。
・口ごもり起源説!
日本人は和を尊ぶ慎み深い民族なので、相手になにか文句を言いたいときにも「グッ」とこらえて我慢をします。
何かを言いかけて「グッ」とこらえる動作、このときに漏れる吸着音が「舌打ち」の起源になったのではないか、というのが私の考えたオリジナル仮説です。
日本人は慎み深いので決して文句は言いません。文句は言いませんが、グッとこらえる様子を相手に見せつけて、しっかりと不快感を表明するのです。
(俺はこんなに我慢してるんだぞ、察してくれよ!)
舌打ちというのは、実に控えめで奥ゆかしい、日本人らしい表現なんですね・・。
この世には二種類の舌打ちがある!
「舌打ち」って他人に向かってする場合と、自分自身にする場合がありますよね?
イラッとした相手にイヤミのようなつもりで「チッ!」とする場合と、嫌なことがあったときに誰に聞かせるわけでもなく自然に「チッ!」と出てくるやつです。
「自分にする舌打ち」と「他人にする舌打ち」、この二つは一体何が違うんでしょうか?
この違いについて、ちょっと考えてみたいと思います・・。
自分にする舌打ち!
いまいましい事があったときに、誰に聞かせるわけでもなく自然に出てくる舌打ち、これはある種の「独り言」と似ているのかもしれません(「クソ!」とか「あ~だりな~」とかと似た感じの独り言ですね・・)
「独り言」ってなんだか不思議ですよね。だって誰も聞いてないのに自分自身に話しかけたりして、こんな行為にいったい何か意味があるんでしょうか?
心の中でつぶやくだけにしておくことと、実際に声に出して話すことと、この2つにいったいどういう違いがあるんでしょうかね・・?
ここで哲学者のオースティンさんに登場してもらいます。
オースティンさんは、言葉には「コンスタティブ(事実確認的)」な言葉と「パフォーマティブ(行為遂行的)」な言葉があると説きました。
「コンスタティブ」な言葉というのは「文章通りの意味」に解釈されるような言葉のことで、「パフォーマティブ」な言葉というのは「文章通りの意味」以上に、「それを発話した行為」自体に意味が見出されるような言葉のことです。
独り言というのはある意味、「コンスタティブ」な言葉を、実際に発話することによって「パフォーマティブ」な言葉に変換する一人遊びであるといえそうです。
「パフォーマティブ」な言葉というのは、そのときの「文脈」や「人々の判断」によって内容が決まる、ちょっぴり高度な言葉なんですよね。そして「パフォーマティブ」な言葉の内容が決定されるためには、周囲の聞き手によって作られる「フレーム・場の空気」が不可欠なんです。
つまり「独り言」を発する行為というのは、自分をあたかも他人に見立てて会話するような「相互行為」を演じる中で、言葉が解釈されるための「場の空気」を形成しようとする営みなんだと思います。
そして自分の言い放った「パフォーマティブな言葉」を、相互行為の中で形成される「場の空気」によって意味的肉付けをして、重層的な言葉を作り上げて遊ぼうとする、ちょっぴりハイレベル?な空想的営みである、ということなんですね(実際は一人二役をやってるだけなんですけどね・・)
言ってみれば「独り言」というのは、自分がモヤモヤと抱いている気持ちを他人に分かってもらいたいときに行う、なんだか悲しい一人遊びなんだと思います・・。
きっと「チッ!」と舌打ちを漏らす人は、自分の心の奥にいる他者に「(なー?まじうぜーよな~?)」と、秘かに同意を求めているのかもしれませんね・・。
他人にする舌打ち!
他人に向かってする舌打ちの場合も、なかなか複雑な仕組みが働いてると思います・・。
地方出身の人がよく言ってるのですが、彼らが上京して間もないころ、東京の人がよく「舌打ち」をするのを見てびっくりすることがあるそうです(たしかに私も満員電車とかでよくおじさんが舌打ちをしてるのを耳にします・・)
こういった都会人たちがする「舌打ち」について、ちょっと注目してみましょう・・。
都会人が「舌打ち」をすることには「儀礼的無関心」という習慣が関係していると思います。「儀礼的無関心」とは、人が密集してる場所で、お互いに無関心を装う態度のことです。
あんまし相手をジロジロ見つめたりすると失礼になってしまうので、あたかもお互いを「モノ・物体」であるかのように見なして、できるだけ干渉しないようにするという都会のマナーなんですね。
この「儀礼的無関心」にはちょっぴり罠があって、もし公共の場所で「マナー違反」をしている人がいたとしても、なかなか簡単には注意ができないという難点があります(お互いの間に分厚い心の壁、「無関心バリア」が張られているので、もはや相手に声をかけることさえできないということです・・)
「相手に注意したいけど注意できない・・」この葛藤のなかで登場するのが「自分にする舌打ち」です。イラッとする相手に言いたいことがあるけども、それをグッと抑えて「独り言」としての舌打ちを発するんです。
「(あいつマジ腹立つよね~)(そうだよね~)(ありえないよね~)」という一人芝居を打つことによって、相手にほのめかす形でメッセージを飛ばして、自発的に気付いてもらおうとするんですね(いつも練習してる独り言遊びの成果がここで発揮されるというわけです)
なんだか匿名掲示板で悪口を書き込むような卑怯な方法のような気がしますが、高度なマナーの文脈が支配している都会の空間では、もはやこんないびつな形でしか、自分の意志を表明できないということなんですね・・。
舌打ちがガチで外傷的な理由!
もし一対一で向かい合った相手に「舌打ち」をするとしたら、それはとっても外傷的な行為になりうると思います。だってそれって相手のことを「本気で嫌悪」していることの表明なのですから・・。
例えば上司が部下に怒るときの、とってもいや~な「舌打ち」を見てみましょう。
上司が部下に向かって「チッ」と忌々しそうに舌打ちをしている場面があるとします。
この場面は、上司は部下に言いたいことがあるけども、互いの間にある「バリア」によって発言することがためらわれるため、「ほのめかしの表現」を使って相手に意思を伝達している、ということを意味している思います(というよりそういう態度をパフォーマティブに演じようとしてるんです)
このときの両者の間にある「バリア」というのはいったい何でしょうか?実はこの「バリア」というのは仮に作られた嘘っぱちのものです。このバリアは、上司が「お前にはうんざりだよ・・」という独り言(=舌打ち)をいうためだけに設けられたもので、特に深い意味はないのです。
基本的に独り言って、相手に向かい合っていないパーソナルな独白であり、装飾されてない当人の「本当の気持ち」を示す傾向が強いものだと思います。なので、この上司の人は舌打ちによって「これは教育でもなんでもなくて、ガチでお前にうんざりしてるんだよ・・」と言ってることに他ならないのです・・。
これはかなり外傷的かつ厳しい表現であるといえます。だって学校の体罰教師でさえ、うわべ上は「俺はお前のためを思って殴ってるんだよ!」というファンタジーの下で体罰をふるっているのに(その根底にはジャイアン的なサディスティックな欲望があるとしてもです)、「ガチでうんざりしてる」みたいな表現を投げかけるのは、相手を本気で傷つけようをしてるヤバい行為だと思いますから・・。
こういう風に相手からそっぽを向いてポツリと独白するネガティブな表現、これはとっても危険な表現であり、もし自分の本心でないとしたらとっても誤解を生んでしまうものなので、ネガティブな表現をするときは相手に向かってしっかりと表明した方がいいと思います。
そうすれば「俺はお前のためを思って厳しく言ってるんだよ!」という虚構のファンタジーをまとった、ずいぶんまろやかなコミュニケーションができるようになると思いますから・・。
結論!
というわけで、「舌打ち」はとっても感じが悪い行為なので、みんなあんましやらないようにしましょうね!(´・ω・)